東京・浅草の雷門から少し歩いた先に「並木藪蕎麦(やぶそば)」はある。1913(大正2)年創業の老舗(しにせ)で、「かんだやぶそば」「池の端藪蕎麦」とともに藪御三家と呼ばれる。
「うまいソバとうまい酒を供する店は、ほかにいくらもある。だけど、並木でなくてはダメなんだという午後がある」。文筆家の杉浦日向子は「もっとソバ屋で憩う」(新潮文庫)のなかで筆頭に挙げ、「江戸前ソバ屋の原点」と紹介した。作家の池波正太郎、山口瞳も著書で取り上げ、そば屋で飲む「おとなの酒」の楽しみを書いている。
冬限定の鴨(かも)南ばんから、そばを抜いた「鴨ヌキ」は、品書きにはない。が、知る客はこれを肴(さかな)に酒を飲み、そばでしめる。ざるそばは、裏返してもり上がったざるに盛られて出る。本わさびを箸(はし)につけ、そばの端を「どこよりも辛い」と言われる汁にちょんとひたして、すすり込む。
そばは北海道、青森、茨城産のそば粉をブレンドし、卵水を加えて木鉢で練る。汁は、本節だけで「強いだし」をとり、1週間以上寝かせたかえしとみりんを加えて1日置き、湯せんにかけてさらにひと晩寝かせる。
大晦日(みそか)。小ぶりな店は年越しそばの客でごった返す。例年、のれんをしまう夜10時でも行列が続き、最後の客が入るのは11時過ぎになる。「1年最初で最後のそば屋のお祭りだね」。3代目の堀田浩二さん(44)は言う。
準備はすでに始まっている。手間ひまのかかる汁を作り置く。そばは31日未明に打ち始め、職人は木鉢にかかりっきりになる。
店内の壁に年代物の額、なかに毛筆で一句。見上げて堀田さんは「歌舞伎役者の初代中村吉右衛門さんは、奥さん連れで毎年大晦日にお参りに来て、寄ってくれたそうです。これはその当時のもの。2代目も必ずお越しいただいています」と話した。
女房も同じ氏子や除夜詣(もうで) 吉右衛門