香ばしい香りが漂い始めたら、食べ頃まであと少し。トロトロに溶けたチーズの表面をそいで、ゆでたジャガイモとピクルスの載った皿に盛る。これで完成。「ラクレット」は、スイスの山岳地帯、バレー地方で育まれた料理だ。
1965年創業の「東京スイスイン」の人気メニューは、スイスから取り寄せたチーズを使ったフォンデュとラクレット。「どちらもお客さんの9割が注文します」と4代目のオーナー、ゴードン・クマル・ゴッシュさん(38)は言う。
ラクレットチーズは牛乳で作る。削りとるという意味の仏語「ラクレ」が語源で、牧童が炉でチーズを溶かして食べたのが始まりといわれる。いまは専用の電熱器を使うことが多くなった。
現地のレストランでは、ウエーターが皿の空くタイミングを見計らって次の皿を持ってくる。ストップをかけないと、わんこそばさながら、次から次へと出てくる。「何皿食べた?」という調子で、「食べる」という行為自体も味わう。放牧で山にこもった牧童たちが、共同生活を楽しもうとした名残かもしれない。家庭では、大勢でわいわい食べるパーティー料理だという。
スイスの面積は九州とほぼ同じで、アルプス山脈が国土の約60%を占める。やせた土地では作物を育てにくいため、牛やヤギに山の草を食べさせ、牧畜で生活してきた。家畜の乳で作るチーズは、輸送の発達していない時代の大事な栄養源だった。現在でも、どの家庭の冷蔵庫にも入っている。
スイスのチーズは、日本の漬物と同じく、土地によって味や形が違う。稲作文化が米ぬかの漬物を生んだように、牧畜文化がチーズを作った。
本場のようにおかわり自由とはいかないが、東京スイスインでは、ゴードンさんがラクレットを目の前でそぎ落としてくれる。店内は笑顔で包まれる。まるで、牧童たちが山小屋で楽しく過ごしているかのように。