神奈川県三浦市の三崎漁港。遠洋漁業の拠点として栄え、マグロの水揚げで日本一を誇ったこともある。港は三浦半島とその南端に浮かぶ城ケ島の一帯に位置し、城ケ島大橋は1960年、漁港発展の期待を担い、半島と島の間に架けられた。
◇ ◇
「映画を見るために船で港に渡り、夜遅くなって泳いで島に帰ったこともあった」。島に生まれ育った青木倉吉さん(86)は、架橋前の様子が懐かしそうだ。遠洋漁業だけでなく、島周辺は海の恵みの宝庫だった。今も現役漁師の青木さんは、近海で伊勢エビやカワハギを取りながら港の変化を見続けてきた。
橋が架かったころ、マグロの水揚げ量は右肩上がり。加工場などの漁業施設建設のため、現在の島の面積の2割に近い約18ヘクタールが埋め立てられた。それに伴い、半農半漁で生計を立てていた島の人々の生活は一変する。「浜辺が消え、港からトコブシやサザエがいなくなった」と青木さんは残念がる。
だが、オイルショックや経済水域の拡大などが影響し、遠洋漁業はやがて下降線に。昨年のマグロ水揚げ量は約7千600トンと、ピークだった昭和40年代の10分の1ほどに落ち込んだ。
◇ ◇
漁港開発に翻弄(ほんろう)された城ケ島にあって、甲田豊さん(39)と石橋英樹さん(39)は数少ない若手漁師だ。
島外で働いていた甲田さんは妻の故郷の城ケ島に移り住み、3年ほど前から潜り漁や、船の上から突く見突き漁でアワビやサザエを取っている。「豊かな漁場はまだ残っていますよ」
石橋さんは代々続く漁師の家の長男。会社員生活を経て漁業を継いだ。家族が手伝ってくれたり民宿が積極的に仕入れてくれたり。助け合いや気遣いを日々感じ、島を誇りに思う。
架橋から50年。島には、漁業を担う人々の力強い暮らしが今も息づいていた。漁港の発展という目的は薄れたけれど、橋も島に寄り添い、島の人たちの生活を支えている。