屋台ののれんが開くと、雪の中に白い湯気がばーっと広がる。かつおだしの利いた中華そばの香りが漂う。
戦後間もない岐阜県高山市。ここで生まれ育った川原節男さん(81)にとっての、冬の夜の印象深い情景だ。「席に座れないと、鍛冶橋(かじばし)の欄干まで丼を持って行ってすすっている人たちもいました」
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宮川にかかるいくつもの橋の中で、鍛冶橋は市のほぼ中心部に位置する。「宮川朝市」の起点で、伝統的な建造物が立ち並ぶ「三町」も近いことから、日中は観光客の往来も多い。
橋の欄干の中央部で向かい合うのは、出雲神話に由来する「手長」と「足長」の一対の像だ。高山祭の山車に飾り付けられる彫刻を模して、1983年の改修時に据えられた。異様に長い手足と奇怪な表情に魅せられてか、観光客が立ち止まって記念写真に収まっていく。
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同市有楽町の中華そば店「まさごそば」は、38年に先代の故・坂口時宗さんが、屋台を引いて鍛冶橋周辺を流したのが始まりだ。かつおだしとしょうゆだれを合わせた独自のスープを作り上げると、寒さの厳しい高山で評判を呼んだ。
戦後は、橋の西詰に屋台を据えた。昼は料亭で働き、夜は午前2時まで屋台に立った。雨が降っても大雪でも、休まなかった。「みんなが待っとってくれるから、って言ってなあ」と屋台を手伝っていた坂口順治さん(66)。順治さんは時宗さんの娘婿で、まさごそばの2代目店主だ。橋周辺は、映画やパチンコ帰りの人々で夜遅くまでにぎわったという。
350メートル上流には、朱塗りの中橋が優雅な姿を水面に映す。高山祭の山車が通るときのあでやかな風景でも有名だ。
鍛冶橋は、見栄えではかなわない。でも時宗さんがたもとで守り続けた味は、市内のあちこちで「高山ラーメン」として受け継がれ、橋とともに人々に愛され続けている。