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2007.11.19(月)更新  ラジカル鈴木のこの2人が最高!!
ラジカル鈴木のこの2人が最高!!
第6回 「PEACE BED アメリカVSジョン・レノン」
ジョン・レノン&ヨーコ ・オノ
PEACE BED アメリカVSジョン・レノン
■未公開映像満載のドキュメンタリー

 現代で最も有名な実在のカップル、と言っても過言でははないですね〜。運命的な出会い、紆余曲折、沢山のエピソード、逸話。別れと再会、子供の誕生、そして凶弾に倒れたジョンの死で終わるまで、あまりにもドラマチック過ぎる、リアル・ラブストーリー。今さらザ・ビートルズのことや、2人の生い立ちなどは、語り尽くされておそらく皆さんご存じなので、ここでは端折ります。賛否両論を巻き起こした彼らの行動は、長い年月を経て、今やしっかりと不動の評価を得ているように思います。そうなったのも、現在に至るまでのヨーコの手腕が大きいのですが。来たる12月8日、ジョンの命日にあわせて公開されます。

 この映画は2人が世界に向かって盛んに発信し、活動していた時期の、未公開ライブ映像を含む、貴重なフィルムが満載の力作ドキュメンタリーです。ジョンやザ・ビートルズのドキュメンタリーは何本か見ましたけど、これだけ彼らの、政治的な、あまり知られていない側面に迫る作品はなかったのでは。言わば、今まで割とカットされていた部分ですね。アメリカで圧倒的な人気を得ながらも「危険人物」として、大統領ニクソンに目を着けられ、FBIのブラックリストに載り、尾行や盗聴、国外退去命令を受けていたジョンとヨーコ。

 僕がこの2人に思うのは、強烈な個性と個性が出会い、人種を超え、アーティスト同士のリスペクトから恋人、同志、夫婦へ、そういう流れって、アーティストの端くれである自分も、自由で自然で、本当に素晴らしいナアと思うワケです。そう、まさに”自由”こそが、彼らの、この映画の、そして僕の、誰しものキーワードなのですね。ジョンは世界の大スター、ヨーコは東洋人のアバンギャルドなアーティスト、ということで彼女にはすさまじい差別もあったと思うのですが、同じ日本人としては複雑な気持ちですよね。まあ、今のこのグローバル化の時代には、過去の話になりつつあるのかな? そんな、同じ指向の持ち主でも、表面的には全く違う2人だったからこそ、自由のシンボルになったワケです。

 2人が出会ったのは、手前ごとで恐縮ですが、ナント僕の誕生日(1966年11月 7日)から2日後の、1966年11月9日のことであったと知って驚きました。41年ほど前。ロンドンで開催するヨーコの展覧会前日に、ジョンがギャラリーに偶然立寄った。そして、彼女の頭の良さと、作品を気に入り、それからコラボレーションするようになる。2人は共に結婚しており、子供もいた。ヨ−コのほうが歳は上だった。価値観が激変していく時代のうねりの真只中に飛び込んで、世界の矛盾を直視し、抵抗し、もがくように活動を展開いていく。常に波紋を呼ぶ2人の行動はあまりにも急進的で過激で、目立ち過ぎたのかもしれません。しかし、当時と現在のアメリカを比べても、今でも、同じようなヤバさをアメリカという国は孕み、というより時の権力者は持っているような気がします。ジョンが生きていたら、いまどんな行動をしていたでしょうか。ジョンは完全にそっちにシフトしたために、ザ・ビートルズは解散。自分は改めて、そんな怒濤の60年代に生まれたんだな〜と思うワケですが。

■子育てにいそしむジョンの姿も

 1969年3月に2人は結婚、新婚旅行中に訪れたアムステルダムで、有名な「ベッド・イン」という1週間ベッドの中に入って出ずに、世界の平和を訴えるパフォーマンスを行う。その模様を、理解できずに怪訝そうに質問するレポーターとジョンのやり取りが、ばっちり入ってます。今見ると、白装束のちょっとアブない人たちに、見えなくもないケド?

 ジョンと同じ日というのがすごい、1975年10月9日に息子ショーンが生まれ、ジョンは35歳に。さらにこの日はジョンにめでたくアメリカ政府からグリーンカードが降りた日でもあった。これを期に音楽活動を休止してハウス・ハズバンドとして子育てに専念。

 僕はこの2人のことを考えると、男が必ずしも男らしい必要はなく、そして女が、必ずしも女らしい必要もない、持っている個性を生かして協力し合えばいいんだ、という、まさにお手本だと思うんです。ナイーブで子供っぽく、エキセントリックな彼は、最初の妻との息子、のちのミュージシャン、ジュリアン(・レノン)の子育てには、若かったせいもあって失敗していて、その反省もあったのだろう。こんどのショーンは心の底から大切にして、愛そうとし、時間を存分にとり子育てを楽しんだ。混乱の俗世から離れ、まさに命の洗濯だったのでしょう。一家はヨーコの親族の別荘がある軽井沢に静養に来ていたこともあるんですよね。(余談ですが、僕は1998年頃にチボ・マットの東京公演に、べーシストとしてステージに登場したショーンを見ています。その割腹の良い体型にビックリしたものです。ジョンも太りやすい体質で体型に気を使っていたというから、遺伝かな?)

 かたや、芸術のみならずビジネスセンスも卓越していたヨーコは(元々が財閥の娘であるから?)、夫の資産を管理・運用し、それを2倍にすることを成功させたそのたくましさ。人間の個性、男女の持っている資質というのは、そのときの相手や環境によって引き出されるものなのでしょうね。

■数々の名曲にも涙

 音楽活動以外が中心とは言え、ヤハリ僕は音楽ファンとしてはどの曲が登場するのかが、気になりました。何度も何度も聴いてきたナンバーで、またしても目頭が熱くなってしまいました。もちろん、僕はポールよりもジョンが好き。彼と彼の作品は、生身の人間、という感じがしますからね。そして、より創造的でアーティスティック。

 1980年12月8日、14才の中学生だった僕にも、彼の死は大ニュースだった。僕にというより教室の中で大変な話題でしたね。僕にとってはビートルズの音楽以外、良く知らなかった彼の、本格的にファンとなるきっかけでした。皮肉にも死からのスタートだったのですな。余談ですけれど、同じく1980年11月7日(こちら、僕の誕生日)にスティーブ・マックィーンも亡くなっています。同様に、亡くなってから本格的ファンに。奇しくも彼も、ジョン同様に、両親の愛情を得られない不遇の幼少時代を過ごしたヒトですなあ。そして、1981年1月1日、ビートたけしのオールナイト・ニッポンが始った!

 どれもが、密度の濃い鮮烈な出来事でした。同世代の輩には、僕と同じようなノスタルジーをお持ちの方も多いでしょう。嗚呼、甘酸っぱい青春〜。ジョンが亡くなった40歳もいつの間にか超えてしまった僕、僕もジョンのように、またStarting overしようっと!!

ラジカル鈴木
 フリーのイラストレーターとして20年以上のキャリアを持ち、現在ではイラストのみならず、雑誌や新聞で映画レビューや旅行ルポ、ダイエット記などを執筆しており文筆家としても活躍している。

 ニューヨーク・アート・ディレクターズ・クラブ賞銅賞受賞(米国)、ユネスコ国際ポスター展入選(仏蘭西国)をはじめ、国内外の賞を数多く受賞している。2006年には文化庁メディア芸術祭10周年企画「日本のメディア芸術100選」のアート部門に1999年の「大顔展」の宣伝ビジュアル作品が選出された。

 公式サイト http://www.big.or.jp/~radical/
 
(すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)
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