江戸では「女は人のはじまりのこと」と言い、女性の座は想像以上に強かったようです。結婚は恋愛結婚が主流で、離婚、再婚も珍しくありませんでした。
江戸時代は封建的で、男尊女卑の強い社会だったとも言われていますが、群馬県の縁切寺(えんきりでら)満徳寺資料館の高木侃館長によると、庶民の女性は決して虐げられてはいず、むしろしたたかに生きていたことが、千通以上もの三下り半(離縁状)で分かるのだそうです。三下り半は夫の側から一方的につきつけられるものばかりではなく、妻が夫に書かせる場合もあり、再婚許可証のようなものでした。
満徳寺は無法な夫から妻を助け、離婚させてくれた尼寺で、夫に追われた妻が草履を寺の門に投げ込む絵があるそうです。草履が門内に入れば本人が駆け込んだと同じことになり、夫は手出しができませんでした。
また、商家では女主(あるじ)も活躍した当時、女性の評価は、生まれつきの姿形というハード面より、努力して得られた能力、つまり愛想がよい、相づちがうまい、客さばきが抜群、料理が上手、色気がある、などのソフト面で決まりました。銭湯の男湯では女房の料理自慢が飛び交ったとか。
江戸の下町で寄り合いがあると、男性が先に来ても、会場のあがりかまちから1〜2列離れたところに履物を脱ぎました。あがりかまちにより近い場所は、女性が大股で上がらずにすむように空けていたのです。江戸っ子の男性は、まさに粋なジェントルマンだったのです。