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2009.3.23(月)更新  江戸城を歩こう/最終回 東京は江戸城の賜物 天守閣再建で元気な日本に
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江戸城を歩こう
最終回
− 東京は江戸城の賜物 天守閣再建で元気な日本に −
 いよいよこの連載も今回で最終回です。

 これまで、江戸城のいろいろな場所を歩いてきました。おつきあいいただいた皆さんは、どうお感じになりましたか? 思いがけない場所にある江戸城の痕跡や、いまだに堂々たる姿を残す江戸城など、それぞれの場所での感慨を抱いていただけていたらうれしいのですが、さらに江戸城全体を一通り巡ってみて、改めてお感じになることは何かありますでしょうか。

 私が江戸城巡りを始めて感じるのは、「東京は江戸城の賜物」ということです。有名な「エジプトはナイルの賜物」という歴史家ヘロドトスの言葉をもじってみましたが、現在の東京の繁栄というのは、そもそも江戸城が造られたこと、なかんずく、「このように」作られたことに大いに依拠していると思います。

現代日本は「東京時代」
 以前聞いた話ですが、日本という国は歴史時代の区分がほとんど地名で行われている面白い国です。縄文、弥生は文字記録がありませんから歴史時代とは言えませんが、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代と、すべてその時代の政治の中心地を時代区分名に冠しています。「平安」とは平安京、すなわち京都のことですし、室町とは足利幕府のあった京都の地名です。そして江戸時代が続き、明治維新後の近代、現代となるわけですが、後世の歴史家たちは、明治維新以降の日本を何時代と呼ぶでしょうか? それはおそらく「東京時代」となるのではないかと私は思います。それ以前のどの時代にも増して「首都」の持つ意味が重要になった時代ですから、よくも悪くも、首都東京の名を冠した時代区分になるのは当然のように思います。

 そうした仮定で考えてみると、江戸以前の時代区分の変遷は政治の中心地の移動が伴っていました。ところが「東京時代」は、政治の中心地が動いたわけではありません。「江戸」が「東京」になっただけです。

 とすると、現代を「東京時代」という風に未来に呼ぶようになったとしても、江戸幕府開設以来の時代は「江戸・東京時代」とひとくくりにできそうな気もします。明治維新は、断絶というより改革と捉えるのがいいのかもしれません。

日本の歴史に合致した江戸の発展
 話は変わりますが、日本の歴史の大きな流れの一つに西から東への発展、というものがあります。縄文時代は、狩猟採集生活の基盤になった森林の豊かさから、東日本が西日本より遥かに人口が多く、ある意味栄えていました。ところが稲作が日本に伝わり農耕社会になって以降は、いち早く稲作が進み、適地であった西日本がより発展したうえ、進んだ文化や技術は中国に近い西日本から徐々に浸透し、経済発展も西日本から東日本に進んで行く、ということになりました。

 広大な平野があったものの稲作地にできなかった関東や、寒冷地で昔は稲作が難しかった東北や北海道は、歴史時代を通じて徐々に徐々に開発が進んで行きます。そんなわけで日本の人口重心は、一貫して西から東に動いて行きました。

 関東を拠点とした徳川氏が全国の覇権を握って幕府を開き、江戸を政治経済の中心として発展させ続けたことは、こうした大きな歴史の流れにきわめてよく合致しているのです。歴史の必然というと言い過ぎかもしれませんが、たとえば織田氏や豊臣氏の政権が関西で続いていたら、東日本の開発が進まず、日本全体の発展が停滞していたかもしれません。

 江戸に幕府が開かれた結果、日本一の巨城が江戸に築かれました。それはこれまでに何回も述べてきたように、当時の日本の国力を結集した超大規模建設事業であり、単に城を築くというだけでなく、日本国の中心都市を築くという大インフラ整備事業だったのです。その結果、多くの可能性を秘めた東国に、経済発展の巨大な基地ができたのです。

 徳川家康は、江戸城の内郭にも匹敵する広大な商業地、日本橋、京橋、銀座をすでに江戸初期に整備し、商人を関西から呼んで商業活動の発展を図りました。のちには隅田川を越えた下町地区も町人地として発展して行きます。

 東京だけでなく、利根川の付け替えをはじめとした大土木事業で関東平野の新田開発が進み、日本最大の平野を生かした経済発展も進みました。

 こうして江戸は繁栄し、その余波は東日本全般に波及しました。江戸へ運ぶ物産の多くは関東や東北で調達されるようになり、それらの地方の経済も発展しました。

 経済だけでなく、それまでの文化の中心である京都、大阪からの文化の移入も進み、江戸時代の末期には、上方に引けを取らない文化発信地としての蓄積もできてきました。それは偶然の産物ではなく、幕府自身が学者、能役者、絵師、棋士、職人など、さまざまな文化人を江戸に呼び寄せ続けた結果です。

賢明だった明治政府の判断
 明治政府は賢明にも首都を京都に戻さず、天皇が江戸に移って、江戸を中心とした日本の発展を図ることを選択しました。「江戸時代」を終わらせはしたものの、そのまま「東京時代」への移行を進めたのです。その結果近代工業社会に移行しても、日本はスムーズにそれまでの江戸の蓄積を利用して国を発展させることができました。

 東京湾という理想的な地形を生かし、横浜をはじめとした多くの港を整備し(横浜港は幕府が開いたものですが)、背後の台地や東部の低地に住宅地、商業地を広げ、目の前の海は工業地としてどんどん埋め立てて行きました。そうした限りない広がりを受け入れる余地を江戸=東京は持っていたのです。それを明治政府の中枢部の人間はわかっていたのでしょう。

 工業化社会に必要な労働力は、関東や東北地方などからどんどん供給されました。増え続ける人口を支える農水産物は、江戸以来の近郊農地や東北地方が支えました。

 江戸の蓄積の結果、東京の発展があり、ひいては日本の発展が可能だったとも言えます。そのすべては江戸城の建設に始まっています。そうした意味では、冒頭に「東京は江戸城の賜物」と書きましたが、「現代日本の発展は江戸城の賜物」とさえ言えると思います。

江戸城なくして首都高なし
 さらに、細かく江戸城の構造を見て行くと、東京という都市構造の発展が江戸城に規定されている、ということがよくわかります。

 江戸城のおおまかな構造は、これまで見てきたように、まず中心に幕府の中枢のある内郭があり、その北部、西部には旗本の屋敷地、東部には日本橋、京橋、銀座の町人地、南部には大名屋敷が置かれました。

 この都市計画的配置を引き継ぎ、東京東部は商業地、中小工業地として発展し、西北部は屋敷地、山の手として発展し、南部は官庁街などとして発展して行きます。

 交通網の整備も江戸の資産を生かして進められています。東京を発する国道の多くは、東海道、甲州街道、奥州街道、中山道などとして、江戸時代に起源がある道ばかりです。都市道路として重要な環状道路も、江戸城の内堀、外堀沿いを巡る道が出発点です。

 鉄道もそうです。総武線や京浜東北線は江戸城の外堀の中や上を通っています。人が住んでいないところですから簡単に通しやすかったのでしょう。また高低差が比較的少ない点で工事が簡単だったはずです。

 そして江戸城の恩恵をもっとも受けたのは戦後の首都高建設だと思います。都心部の首都高のほとんどは江戸期の堀の上、あるいは堀を埋め立てて作られています。江戸城の堀がなかったら、首都高建設が東京オリンピックに間に合ったかはななだ疑問です。用地買収や大規模な地形の変更などを考える必要がなく、簡単にルートを決められたわけですから。

 このように江戸城の資産を生かして、東京、そして日本は発展を続けてきました。しかし今やその発展にも陰りが見え、大きな転換を図らなければならない時代になっていることはみなさんご存知の通りです。この時代に、我々は江戸城という大きな遺産をどのように考えたらいいのでしょうか?

 それにはまず、東京や日本が、江戸城の上に成り立っているという原点を思い出すことも役に立つのではないかと思います。ここまで書いた来たような、江戸が東京の基礎であり、いまだに東京=江戸である、ということを、東京に住んでいる人のどれほどが意識しているでしょうか? 原点をもう一度見つめるのもいいと思います。

 明治以降、流れのままに江戸の遺産を使い、われわれは発展してきました。極めて計画的に作られた江戸の街に比して、現代の我々は東京という街のグランドデザインを持っているでしょうか? 私には無秩序な発展の後付けしかないように思います。 江戸=東京の街をどうするのか。ひいては日本をどうするのか、今を生きる東京人、日本人の一人一人が考える必要があると思います。

城は人々のアイデンティティ
 そのきっかけにもなるものとして、私は江戸城の再建、特に天守閣の再建を提案したいと思います。天守閣を造るのはノスタルジーや懐古趣味ではありません。天守閣を造ることで、東京の街の精神的核を視覚化し、東京をどうするか、日本をどうするかを考える一つの契機になればと思うのです。

 今、江戸城には天守閣がありません。以前に書いたように明暦の大火で焼失して以降再建されなかったからです。しかしその結果、江戸=東京の人々は大事なアイデンティティを失ったように思います。

 名古屋城は戦災で焼けましたが、戦後に再建されました。「尾張名古屋は城で持つ」と言われるように、名古屋城は名古屋市民の誇りです。名古屋といえば金のしゃちほこを思い出し、サッカーチームなど多くのシンボルになっています。

 大阪城は1931年(昭和6年)、大恐慌のさなかに再建されました。しかも資金のほとんどは市民からの寄付でした。復元された城は幕府が作った大阪城ではなく、それ以前の太閤秀吉が作ったものがモデルです。建設時期といい、モデルといい、大阪市民の心意気を感じます。今では貴重な初期鉄筋コンクリート建築として文化財にもなり、いまだに大阪で最も有名な観光地として人を集めています。

 那覇の首里城は琉球王国のシンボルでした。江戸時代に建設されたものが明治以降も残り、国宝に指定されていましたが、あの激しい沖縄戦などで完全に失われました。しかし終戦後まもなくからその再建は沖縄の人々の悲願となり、周囲の門などから復元され、1992年(平成4年)、ついに最大の建物、正殿が再建されました。事業はまだ継続中で、かつての首里城の完全な復元が進められています。首里城は沖縄の人々の誇りであり、重要な観光資源として多くの人が訪れています。

 こうした日本を代表する城の再建を見ても、そのほかの各地の城郭の再建を見ても、これらの事業が単なる観光資源作りでないことはあきらかです。それは、その地域のシンボル作りであり、誇りや自信を取り戻すことであり、アイデンティティの確立であるのです。

江戸城に天守閣を
 江戸城の天守閣は失われて250年になり、残るのは天守台跡だけです。ここに天守閣が建ったらどうでしょう? すばらしい観光資源となると同時に、東京中から見えるシンボルとして、東京人の心のよりどころになるのではないでしょうか?

 パリには凱旋門、ロンドンにはロンドンブリッジ、ニューヨークには自由の女神、北京には紫禁城、モスクワにはクレムリン。世界を代表する都市には、それぞれの都市の歴史と文化を背負ったシンボルとなる建造物があります。

 東京にはあるでしょうか? 東京タワーでしょうか? 東京タワーが日本の文化と歴史を背負った建造物なのでしょうか? 東京タワーがつまらないものだと言っているわけではありません。美しく素晴らしく、私自身にもいろいろな思い出がある建造物です。でも東京タワーが東京人、あるいは日本人の文化の象徴やアイデンティティのよりどころになり得るかというと、それは疑問です。今の東京には、そうした建造物がない、というのが本当のところではないでしょうか。

 だとしたら、元気の出ない時代だからこそ、元気が出るシンボルを日本の首都、東京に作るべきではないでしょうか。

 もちろん多額の建設費がかかると思います。しかし、リニア新幹線や全国の高速道路や、宇宙ロケットの開発には何兆円、何千億円とかかると聞きます。江戸城天守閣の建設はその100分の1、1000分の1の費用で作れると思います。

 観光資源としての現実的なメリットも大きいことと思います。江戸城巡りをすると、多くの外国人が二重橋前や皇居東御苑を訪れている光景に出会います。さらに天守閣ができたらどうでしょう。海外でも有名な「ショーグン」の城が現実にあるとしたら、大勢の観光客が押し掛けることでしょう。天守閣に登らなくても、ホテルの窓から眺められただけで、「ショーグンの城をトーキョーで見た」と自慢のタネになるでしょう。

 日本を訪れる外国人観光客は年間800万人強で、政府は観光庁などを作って、これを1000万人にまで増やそうとしています。しかしフランスを訪れる外国人観光客は7000万人を超えているそうです。この違いは、国の魅力の違いでしょうか? そうとは思いたくありません。観光客を迎える取り組みの違いです。魅力ある観光資源を作ろうとしているかいないか、観光資源を大事にしているのかいないのかの違いだと思います。江戸城に天守閣はありません。しかしそれは目に見えないだけで、日本の貴重な観光資源として、歴史や人々の意識の中に存在しています。あとはそれを実体化させるかどうかです。

 江戸城歩きから、かなり大きな話になってしまいました。

 しかしここ何年か江戸城の跡を歩き回ってくると、日々こうした思いを強くします。天守閣という華やかなものの建設も期待しますが、人々の目に見えないところで朽ち果てて行きそうな石垣などにも日を当てたいと思います。

 常盤橋門や和田倉門などでは城門の復元が比較的簡単にできそうです。日本橋川の高架下の石垣など、放っておくと破壊が進みそうです。

 貴重な江戸の財産をもっともっと大事にして行くべきではないでしょうか。

 それにはまず、江戸城を知ることです。より多くの人が知ることです。ですのでみなさん、江戸城を歩いて訪ねてください。そのためにこのコラムが少しでも役立てたら幸いです。

(黒田 涼)

 
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