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最後の言葉「只エガキタシ」
1年前、亡くなった坂倉新平さんは、私が33年間、関わってきたアーティスト。今年の3月から4月にかけ、私の画廊で、アトリエに残された作品で最後の新作展を開いた。
坂倉さんは、18年間もパリで修行した。お金持ちのぼんぼんの遊学ではない。子守をして画材を買った。パリ時代の坂倉さんを私に紹介してくれたのは旧知の画家だった。
坂倉さんの絵=写真=にはイメージのもとになる構築物や樹木などの堅牢(けんろう)な形がある。しかし形は手がかりにすぎず、できあがった作品に痕跡が残っていても、それはすでに本来の形ではない。色はあくまでも澄んでいる。どんなに色を重ねてもやがては澄んだ空間に到達する。ヨーロッパでは何回も個展を開いた。帰国後は、ファンがつき、複数の美術館での展覧会も実現。私の画廊では20回近く個展を開いた。
坂倉さんはパーキンソン病につかまった。手足が不自由になり、立っているのも困難に。しかし、健康なときの何倍も描き続けた。岐阜県美術館で大規模な展覧会が催されたとき、肺炎の悪化で入院、気管切開をしていた。坂倉さんは全身で「行きたい」と訴える。病人搬送車でベッドのまま会場へ行く、という「奇跡」が実現した。付き添った医師も看護師も熱烈な坂倉ファンだった。
昨年5月に坂倉さんは力尽きた。病床で、ままならない手で書いたノートに「只(ただ)エガキタシ」とあった。長かったような短かったような作家と画商の二人三脚。どっちがこけても続かない。もう新作展は開けない。
(ガレリア・グラフィカ)
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