かすかに緑色がかったそば粉に水を加え、両腕を大きく動かしながら一気に水を散らす。
「そばはおしゃべりなんです」。学長の井上明さん(53)の声が聞こえる。そば粉は水分が回ると色が濃くなり、しっとりと重たくなる。その「言葉」、変化を聴こうと、指先に集中する。教室に「そばの声」だけが響く。勝手がつかめずひたすら動かす腕がだるくなり、体が温かくなってきた。
参加した体験教室には、そば好きだがそば屋に1人では入りにくいと思っている30代の女性や、自己流では分からなかったことを解決したいという40代の米国籍の男性など7人が集まった。細かい段階を踏む分かりやすい指導で、見栄えのするそばを打ち上げることができた。デモンストレーションと試食も含めて3時間。質問が飛び交い、活気にあふれた。
年配の男性ばかりかと思いきや、「デートで来る若い人もいる」とは井上さん。年齢や性別、経歴、最近は国籍までさまざまならば、続ける理由も多種多様。「共通点は凝り性な人が多いことくらいかな」と笑いつつ、「(慣れてくれば)力がいらない、すぐにできる、美容にも良く、粋」と、いいことずくめだから不思議ではないと話す。
そばは簡素な料理だ。材料はそば粉と水、それに小麦粉などのつなぎ。手順で言えば水回し、のし、切りの3段階。手早く作業すれば30分ほどで打ちあがる。簡単だから初心者でも形になる。しかし、シンプルだからこそ、味に料理人の腕がはっきり反映する。
つゆ作りやゆで方まで一通り習う基本コースに埼玉から通う関崎泰博さん(46)は、「どの段階でも、少しずつうまくなる喜びがある」と、素人そば打ち段位認定大会に挑戦中だ。今まで習った先生は6人、4団体に所属し、たくさんの人のそばへの思いや考えに触れて、趣味の世界を広げている。長年勤めた会社を辞め、そば屋の開業準備中の嶋崎基治さん(58)は、「死ぬまでできることを探していた」。年をとっても続けられることと、一生かけて探求できる奥深さにひかれた。粉と水のほか、打つ環境の温度・湿度、自分の体調も含め多くの要因から少しずつ味が変わるのだと言う。
「最初とは動きがまったく違う。いいねぇ」。四苦八苦のあげくようやくめん棒が動き出したところで、すかさず先生の声がかかった。棒の下で、めんが無理なく伸びていく感覚が伝わる。生き物を相手にしているような手応えに、そば打ちが病み付きになる理由の一端を見た。