この季節、横浜・本牧の三渓園は、サツキとハナショウブが咲き誇っていて本当に美しい。特に週末ともなれば大変な人出となる。
生糸の貿易商、原三渓(富太郎)は、この広大な庭園にも似て、とてつもないスケールをもつ人物だったという。驚くのは、京都の旧燈明寺の三重塔(1457年)や紀州徳川家の臨春閣(1649年)など数多くの貴重な古建築を移築したことだ。そのうちの10棟が国の重要文化財に指定されている。明治の末にはこのような古建築が入手できたということか。当時は腕のよい職人もたくさんいたのだろう。それにしても、今日では信じられないような贅沢(ぜいたく)だ。しかも正門に「三渓園遊覧御随意」なる看板を掲げ、市民に無料で公開した。
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| 三渓園。山の上に見えるのは旧燈明寺三重塔 |
原三渓の偉業のひとつは、美術のパトロン、コレクターの役割にある。かつて三渓園には「孔雀(くじゃく)明王像」「一遍上人伝絵巻」「寝覚(ねざめ)物語絵巻」、そして雪舟、宗達、光琳らの名品が目白押しであった。セザンヌの「サント・ビクトワール山とシャトー・ノワール」(ブリヂストン美術館蔵)さえあった。また、三渓に庇護(ひご)された画家たち、下村観山、今村紫紅、安田靫彦らの超一級品があった。ここは美の一大宝庫だった。
三渓園とそのコレクション形成の基盤は生糸貿易から生じる莫大(ばくだい)な富だった。戦後の混乱期、名品の多くは三渓園を離れて、東京国立博物館や奈良の大和文華館に入った。戦後、美術館を設立したのは、東急、東武、近鉄など鉄道会社のオーナーだった。
(横浜美術館館長 雪山行二)