米農家の“おばちゃん”には、酪農家の“幼なじみ”がいる。世の中なんとうまい具合にできているのだろう。お陰様で今年も田んぼに入れる堆肥(たいひ)は無料である。田んぼ仲間は軽トラに分乗し、牛糞(ふん)置き場までひとっ走りだ。
遠くの山に春霞(はるがすみ)がかかり、山桜がおぼろに揺れている。そのすそ野に広がる里山の風景の中に、小高い丘が見える。実はこれが牛糞の山なのである。牛が草を食べれば当然、出るものが出る。そうやってたまった物は1年、2年、3年と積み重なり丘になった。中でも3年ものは良く熟成していて、田んぼにまくには最適だ。3年ものが一番というところ、なんだか味噌(みそ)に似ている。いけない、例えがリアル過ぎた。
糞と言っても、完熟したものは臭さもベタつきも全く無く、真っ黒な土のようだ。素手でつかんで鼻先まで持っていっても土のにおいしかしない。ここまでなるには、微生物とミミズたちの計り知れない努力がある。もっとも本人たちはただ食っちゃ寝、食っちゃ寝しているだけだろうが、あまりにも素晴らしい土になっているので、自然の仕組みの巧妙さに、人間の私の方が勝手に感動してしまうのだった。
スコップで堆肥の丘を崩しているとき、中からカブトムシの幼虫が転がり出た。慌てて埋め戻したが、スコップを入れるたび次々出てきて、まるで温泉を掘り当てたような騒ぎになってしまった。幼虫はどれもが丸々と肥えていて、さすが牛糞堆肥は効き目があると納得。彼らは餌の中に住んでいるようなものだ。好きなだけ食べてゴロゴロしていれば、いやでも太りますという見本である。
堆肥運びはかなり足腰にこたえる。掘ったり埋めたりを繰り返し、ようやく軽トラの荷台がいっぱいになった頃、一息いれたくなった。ほどよくおなかもすいたし。すると“おばちゃん”が良い物を出してくれた。“幼なじみ”からの差し入れ、牛の初乳である。みんなで木陰に集まり、さっそくチーズを作った。少し沸騰させた所に酢を入れるだけの簡単さだが、カッテージチーズ風でおいしい。青空の下でほおばるこの幸せ。ああ、生き返る! 何から何まで牛さんに感謝である。
(タレント・エッセイスト)