3度目の田植え。今年も新幹線に乗って、東京から“十人の助っ人”がやってきた。なんだか黒沢明監督の映画のタイトルみたいだ。
昔からの友人、友人の友人。夫婦者、独身キャリアウーマン、お笑い芸人、官僚、某政治家秘書、丸顔、馬づらetc。その顔ぶれも、いつもの年よりカラフル、いや、ゴージャスだ。色白色黒いろいろあるが、みんなの思いはただ一つ。うまくて安全な米が食いたい、なのである。
地元の農家にとっても、よそから人が来てくれて、仕事を助けてくれるのはとても嬉(うれ)しいこと。田んぼの中に、新鮮な風が吹いたような気持ちになる。それまで宿命のようにしてきた米作りを、炊飯器で炊いたご飯しか知らない若い人たちが、「米を作るって大変なんだなあ」と言ってくれるだけで、報われた気がすると目を細める。パソコンは打てても、土に触れることはめったに無くなった指に、苗のつまみ方を、泥の中に植える方法を教える時には、少し照れた顔になる。本当に彼らは、ただ懸命に土と向き合ってきただけなのだ。威張るでもなく、おごるでもなく。農業の今後が暗いと言うなら、それは誰のせいだ。
それにしても、普段ハイヒールや革靴で、硬いアスファルトの上しか歩いたことの無い都会の若者たちったら、田んぼに入ることだけでとても盛り上がる。田植え初心者は、農家のおじちゃん、おばちゃんに手を支えてもらい、ふらふらと最初の一歩を踏み出して、「ギャーッ、ワーッ」と叫んでいる。だが、苗を手渡され植え始めると、次第に足腰も安定し、歩く姿が様になってくる。いよいよ助っ人が助っ人らしくなる。
「自分は仕事で環境問題をやっているけど、実際に体で自然に触れたことがほとんど無いんです」と、秘書君と官僚さんが言った。私も、田畑を通して自然というものに触れて初めてわかったのは、環境問題を知っていることと、自然を知っているということは、まったく別だということだった。体験をするから心が何かを感じる。感情を伴わない知識は、結局いかなる変革ももたらさないと私は思う。だが人は感情に流されやすくもある。互いのいいあんばいがわかれば、米はもっとうまく感じられるのにな。
(タレント・エッセイスト)