今年の稲刈りもまた雨だった。これで3年連続だ。天気予報では晴れると言っていたのに、実際には前日と翌日はそのとおりで、肝心の当日は雨になった。これも毎年のことである。絶対誰か行いの悪い人がいるとしか思えないのだが、口に出したら、それはあんたでしょ、と指さされるのがおちなので黙っていたけど。
雨を含んだ稲は重く、田んぼもぬかるんでとても歩きにくくなる。それでも東京から手伝いに来てくれた友人たちは、稲刈りは楽しいと言ってくれる。おそらく一生のうちに、そう何回も手にすることの無い鎌を握り締め、水しぶきで服を濡(ぬ)らしながら、懸命に稲に向かった。時々おこる笑い声は、泥濘(ぬかるみ)にはまって長靴が脱げた〜!とか、だんだん手に力が入らなくなってきたよ〜、とか膝(ひざ)が笑ってるとか、慣れない肉体労働への驚きが多いが、そこは気の良い連中のこと、楽しく笑って次第にたまっていく疲れを吹き飛ばしていたのだった。
今年の新顔は小学生の男の子。お父さんが稲作の経験ありということで本人も興味をもったようだ。連休の朝に、わざわざ早起きしてやってきた。お父さんから鎌の使い方を習っている時の顔は真剣そのもので、そこが子供らしくてなんともかわいい。さっそく大人に交じって稲を刈る姿はすでに、いっちょ前の若者になっていた。よっお兄さんカッコいいねえ、と私が余計な声をかけると、ちょっと照れたような子供独特の笑い方をして、チラッとお父さんの顔を見てからまた、一生懸命に稲を刈り始めた。
半分刈り終えたあたりで待ちに待ったお昼ご飯のお呼びがかかった。もう胃がぺったんこになっている。秋の味覚、さんまの炭火焼きのなんとかぐわしいことよ。薪で炊いた新米と、すぐ手の届く畑で取れた野菜のおかず。飢えというものを知らない世代の人間たちが、まるで飢えたように食らいついていく。そして、うめ〜っ!の雄叫(おたけ)び。きっと、体を使って働くということは、眠っていた本能を呼び覚ますことなのだ。だから素直に食欲がさわぐ。見ると、小学生の男の子の目も、生き生きと生き物の輝きをはなっていた。
(タレント・エッセイスト)