最近ニュースで残酷な映像をよく目にする。見たくはないが見ないでは済まされない気がする。鳥インフルエンザにかかって死んだ鳥の姿のことである。
初めてそれを見たとき、鳥はなんと無念そうな顔をして死ぬのかと驚いた。首をがっくりうなだれ、まっすぐに閉じられた瞼(まぶた)はまだ死にたくなかった、と言わんばかりだった。もし鳥の世界に警察があったなら、間違いなく他殺の疑いで捜査されそうだ。では犯人は? ウイルスは直接的犯人だが、ひょっとして鳥世界の世論は人間にも罪があると言うのではないだろうか? 自分たちが卵や肉を食べたくて育てたくせに、病気が発生した時、それを止めるためすぐに動いてくれたのか! という声が聞こえてきそうだ。いや、そもそも食べ物はほかの生き物の犠牲によって食べることができるのに、そのことを忘れている! と言われそうだ。
牛肉では、米国牛にBSEが発生し牛丼屋さんの牛丼が食べられなくなった。そうなってみて初めて、牛肉がいかに貴重なものだったかということに気づいた。それまで安くて美味(うま)い家計のお助け役だった牛丼の牛肉が、どこから来ているのか考えながら食べていた人は少ないはずだ。私も過去に数回食べた経験の中で、そんなこと一度も思いもしなかった。だが田舎に住むようになり環境問題に関心を寄せるようになって知ったのは、肉を自由に食べられるのは世界のごく一部の人だけであり、先進国の肉食が減ることで、世界的飢餓すら救えると言う話だった。牛一頭が養える人間の数より、その牛の餌となる穀類が養える人数の方がずっと多いのだ。肉食とは、世界にある貧富の差の象徴とも言えるのだった。安く当たり前に食べられた肉は、実はけっして当たり前と思ってはいけない、ありがたく頂かないと罰が当たる食べ物だったのである。
BSE、SARS、鳥インフルエンザなどの問題が立て続けに起こったのは偶然としか説明がつかないが、もし生き物たちが何か警告を発しているのだとしたら? と考えるとぞっとして、ニュース映像から目をそむけてはいけないのだと、一生懸命見ているのである。
(タレント・エッセイスト)