役者って人の心に思いを残していくのが仕事。だから仕事全部が思い出だらけです。
仕事のファーストキスのお話でもしましょうか。お相手は加藤嘉さんでした。キスと言っても人工呼吸するシーンだったのですが。テストが終わって、嘉さんがこっそり私の耳元で囁(ささや)きました。「入れ歯なんで手加減してください」。私は20歳そこそこ、ドラマの仕事をし始めたばかり、容赦なく力任せにブチーッと迫ってくる私の唇は、きっと恐怖だったに違いありません。
そんなエピソードで始まってしまった私のキャリアは、その後も艶(つや)っぽいシーンとはかなり縁遠く、それは年を重ねるごとにますます需要がなくなり「せめてドラマの中だけでも愛だ恋だ演じてたいよなぁ〜」と渇望感が強くなっていた昨今でした。が、先月上演した地人会の芝居では私が風間杜夫さんに突然抱きつくシーンがありました。書き下ろしてくださった山田太一先生が、抱きつく直前の私の台詞(せりふ)を「この台詞は性欲です」とキッパリおっしゃった時には「そうなんだぞう! 幾つになったって人はときめくのダ!」と我が意を得た思いで留飲が下がりました。
これからも作品ごとの疑似恋愛、疑似家族、思い出を振り向くより、新しい思い出作りに嬉(うれ)しく追われる日々は、まだまだ続きそうです。
〈女優〉
(2006年4月20日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)