競う、勝負する、などは、つまり同一のものを取り合うということだと思う。競わずとも、他人が求めていないものを探せば良いのではないか。
「勝ち組」「負け組」という言葉が、今盛んに叫ばれる。もちろん、社会的、経済的弱者を大量に生み出し格差を広げた失政は問題だけれど、皆が欲しがるものを同じように追い求める風潮が「負け」意識も育ててしまってはいないだろうか。
60億人に、それぞれ違う良さや強さや求めるものがあって良いと思う。「これだけは負けたくない」という感情は、「自分が自分である」ということに尽きるかもしれない。
何言ってんだか。
そもそも、子供の頃から「これだけは負けたくない」という感情がわかない。負けることが怖い、というわけでもない。実際、しょっちゅう負けている。とにかく、人と競うことに対しての意欲が希薄なのだろう。もちろん、テニスやダーツをやったり、クイズ番組に出たりすれば、「勝ちたい」とは思う。しかし、「負けたくない」とは思わないのだ。同じことではないか、と思われるかもしれないが、「勝ちたい」と「負けたくない」は、私の中では全然違う感情なのだ。「負けたくない」と思った瞬間に、「悔しい」という思いが背中合わせになってしまう。それは、「勝ちたい」の背中合わせの「惜しい」という思いとは桁(けた)違いの大きさのストレスなのだ。
〈タレント〉
(2007年2月15日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)