ゆったりとした太鼓の音が、まだ暗い朝の空気を震わせ、街に一日の始まりを告げる。観光地として名高い道後温泉の、シンボルともいえる「道後温泉本館」。木造3階建ての屋根の上、赤いガラス障子に囲まれた振鷺閣(しんろかく)と呼ばれるやぐらから聞こえてくる。「刻太鼓(ときだいこ)」の音である。
明治から大正初期までは1時間おきだったのが、徐々に回数が減り、今では日に3回。朝夕6時と正午に、3階接客係の女性が、時刻の数だけ打つ。「やっぱり朝の1打目が一番緊張しますね。入り口で待ってたお客さんが、これを合図に一番湯めざして走り出しますから」。そう話すのは、山崎華代さん。
やぐらにラジオを持って上がり、時報にあわせて1打目のタイミングをとる。いい音のする場所をねらって、ばちは全身で打つ。間の取り方は、先輩の太鼓を聞いて覚えた。10年ほど前までは、朝の太鼓で「乱れ打ち」をする人もいたという。
「今日は大寒じゃろがな。そのわりに、ぬくいなあ」。お風呂で地元の人たちとの会話を楽しんだ後、昼の太鼓は2階の大広間で聴いた。屋外で聴いた太鼓とは違う、ずっと深みのある音色。建物が楽器の共鳴箱のような働きをしているのだろう。
最後の太鼓を待ったのは、3階にある休憩用の個室。階下からは浴場で桶(おけ)の響く音や、建具の開け閉めの音、通りを歩く人々の声などが聞こえてくる。
この建物は言うまでもなく温泉施設。であると同時に、土地の音を奏で、土地の音に耳を傾ける場所でもあることを確認した旅だった。
(鳥越けい子)