庭に広く開かれた畳の間に座る。目の前の白砂がまぶしい。束になったセミの声が、押し寄せては遠のく。時の流れにゆったりと身をまかせる。ふいにどこからか、カタンという音。まどろんだ耳が、心地よく覚める。
音の主は「鹿(しし)おどし」。水を引き入れた竹筒が、水の重みで反転し、石を打つ仕掛けだ。もとは田畑を荒らす動物を追い払うための民具だった。庭園に使ったのは、ここ詩仙堂が始まりだという。
今は禅寺になっている詩仙堂は、江戸時代初期の文人・石川丈山が、隠棲(いんせい)生活のために建てた。徳川家康に仕える武門の生まれながら、漢詩や書に長じた丈山は、作庭家でもあった。
鹿おどしは、庭の石段を降りた左手にあるが、姿は屋内から全く見えない。音は忘れかけたころにやってくる。テレビなどでおなじみの、長い余韻はない。あれは効果音なのだ。本物は、実に素朴な音。これを丈山が終(つい)のすみかに採り入れたのはなぜか。
史料はないが、住職の石川順之さん(53)の説は「静寂を楽しむため」。先代から、静寂を一層引き立たせるためだと聞いている。大切なのは竹筒の音そのものではなく、音と音の間、というわけだ。
確かに、その間を満たすのは「うつろな静けさ」ではなく、「充実した静寂」だ。土地が奏でる自然の響きや、季節の移ろいを常に新鮮に受け止めたい−−。世俗を離れ漢詩の世界に生きた丈山らしい美意識だと思う。
(鳥越けい子)