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2010.8.23(月)更新  ぶらり、鉄道散歩 〜山あり谷あり、鉄道あり〜

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ぶらり、鉄道散歩
 
第30回 四国東岸の隘路を進むシーサイドライン

牟岐線(徳島―海部)

 牟岐(むぎ)線は徳島を基点に、四国東南岸の海部(かいふ)までを結ぶ79.3キロのJR四国の路線である。「阿波室戸(あわむろと)シーサイドライン」との愛称で呼ばれるが、車窓にアクセントをつけるかのように緑濃い山間の区間も現れ、夏秋の行楽シーズンにはぴったりの路線だ。乗車時間はおよそ1時間半、四国東岸を一気に南下しよう。
文=芦原 伸(紀行作家) 写真=井上廣和(写真家)

海部川を渡り、終着の海部へ向かうキハ185系。国鉄時代からおなじみの気動車だ(阿波海南―海部)
 

那賀川を渡るキハ40形。鉄橋の両側には歩道があり、住民の移動に便宜がはかられている(阿波中―阿南)
都市間輸送の性格も持つ徳島―阿南

 駅前に徳島城址を仰ぎ見る徳島駅は、徳島県の県庁所在地駅であるばかりでなく、高松からの高徳(こうとく)線、海峡を望む鳴門からの鳴門(なると)線(池谷<いけのたに>で高徳線から分岐する路線だが、列車は徳島−鳴門間を通して運行)、内陸の交通の要衝である阿波池田とを結ぶ徳島線(正式には佐古<さこ>―佃<つくだ>間)、そして、行き止まり路線である牟岐線の4路線が結節する四国東岸の鉄道の要衝でもある。阿波踊り(*地図のイラスト)が開催される8月中旬には、全国から人が押し寄せる。

 ホームに待機中の特急「むろと3号」は、発車のアナウンスとともに、エンジン音を高めて走り出す。徳島市内は駅間が短く、阿波富田(あわとみだ)、二軒屋(にけんや)、文化の森のそれぞれの駅が次々と車窓を流れてゆく。

 周辺は市街地だが、文化の森を過ぎて園瀬川(そのせがわ)を渡ると、徳島平野の田園地帯が広がる。ふた駅先の中田からは再び小松島(こまつしま)の市街地に分け入って、市の玄関駅である南小松島で初めての停車。ここまで所要時間10分ほどだ。

 南小松島を出ると、左は市街地、右は水田の対照的な景色を眺めつつ進み、一時、住宅地も途切れるが、羽ノ浦(はのうら)で再び市街地となり二度目の停車。すぐに発車して、那賀川(なかがわ)、桑野川(くわのがわ)を連続して渡ると、四国最東端の自治体で沿線の中核都市・阿南(あなん)に到着する。ここでは、降車客が乗車客を上回り、車内はいっそう空席が目立つようになる。

 「むろと3号」は、キハ185系の3両編成で運行されている。このキハ185系は、JR化後の経営基盤の弱さが指摘されていた四国、九州地区の輸送改善に国鉄最末期に開発された特急形気動車で、登場から20年余りを経ているが、客室設備などは改修されているため古さを感じさせない。また、徳島−阿南間は直線区間を中心に最高時速110キロで運転され、所要時間わずか25分と短い。

 
大阪と徳島を結ぶ鉄道として誕生


路線名の由来となった牟岐駅。フェニックスの木が南国の地を演出してくれる
 牟岐線は、阿波25万7千石の城下町・徳島と、古くから天下の台所・大阪との玄関口である小松島港(こまつしまこう)を結ぶ路線として、1913(大正2)年に開業した。

 鉄道事業の免許は、船会社の阿波国共同汽船(あわのくにきょうどうきせん)がもっていたが、完成と同時に当時の鉄道院が借り上げ、国有鉄道の路線網に組み込まれた。瀬戸内海側の要港・高松と徳島を結ぶ路線の開業は1935(昭和10)年まで待たねばならなかったことを考えると、当時の小松島港の重要性がうかがい知れる。

 小松島から先の一部は、私鉄の阿南鉄道の手で建設されており、1936(昭和11)年に桑野まで延伸されたが、その直後に買収され国有化された。徳島―小松島港間の小松島線は1917(大正6)年に国有化されていたため、徳島―羽ノ浦間の全線が国鉄に編入され、徳島―羽ノ浦間が牟岐線となり、小松島線は中田(ちゅうでん)―小松島港間の路線名に変更された。小松島線の営業キロはわずか1.9キロで、1985(昭和60)年に廃止されるまで全国でもっとも短い国鉄路線として知られていた。

 当初は桑野から南下を続け、室戸岬で西に向きを変えて土讃(どさん)本線の後免(ごめん)まで路線の延伸が計画されていたが、建設のピッチは上がらず、1943(昭和17)年に路線名の由来となる牟岐まで開通したところで建設はストップ。現在の終点である海部までの11.6キロが開通するのは、1973(昭和48)年。財政状況の悪化した国鉄は海部以遠の延伸を凍結したが、地元の路線建設に対する熱意は高く、JR発足直後に設立された第三セクター方式の阿佐海岸鉄道が工事を継続し、1992(平成4)年に海部−甲浦(かんのうら)間の8.5キロを開通させ、一部の列車は牟岐線との直通運転を行っている。


田井ノ浜を走るキハ1200形。由岐―木岐田間には、夏限定で田井ノ浜駅が開業。夏季は上下それぞれ3本の列車が停車する。
 

日和佐駅前。日和佐の大浜海岸はウミガメの産卵地として有名
Train Colmn 「ウェルかめ」の町にウェルカム
 日和佐(ひわさ)は、海ガメの産卵地として有名な大浜海岸をもつ港町。世界でも珍しいウミガメ専門の博物館「カレッタ」(カレッタ=赤海亀の学名)があり、駅舎もウミガメの形をしている。大浜海岸は2009(平成21)年9月〜今年3月に放送されたNHK連続テレビ小説「ウェルかめ」の舞台となり、話題のスポットである。
 
後半は車窓の楽しみが倍増


終点の海部からは第三セクターの阿佐海岸鉄道ASA100形(右)が甲浦(かんのうら)までを結ぶ。キハ185系(左)は牟岐から特急「剣山」として走る
 内陸の那賀町(なかちょう)へのアクセス駅ともなる桑野までは阿南から8分ほど。この駅を出て南下すると、車窓は緑したたる山間部へと変化する。

 エンジン音も軽やかに、山間部を駆け抜け盆地に出るが、阿波福井からは再び本格的な山間区間だ。左右は山の緑が流れ、トンネルも連続する。約6キロの山間区間を抜け、海水浴シーズンの臨時駅・田井ノ浜(たいのはま)駅のホームが現れると同時に、左車窓いっぱいの海が広がる。南小松島からちらちらと、じらすように車窓を横切っていた海原が、いきなりパノラマとなって展開するので、思わず息をのむ光景だ。

 だが、木岐(きき)を過ぎると再び山道で、トンネルを抜け日和佐でつかの間の海原と再会するが、線路は大きく西へと向きを変えて内陸部へと向かう。標高が低いため威圧感こそないが、折り重なる山々を交わすように列車は右へ左へと忙しく向きを変え、山裾を滑り込むように牟岐に到着。徳島からの67.7キロを1時間と8分で走破した。特急「むろと3号」の終着駅であるが、列車はそのまま普通列車の561Dに看板をかけ代えて海部へと直通する。

 牟岐から浅川(あさかわ)までは、海、山、海、山と車窓が目まぐるしく入れ替わるが、道路を除けば人の気配が失せた大自然が車窓を支配する牟岐線のハイライト区間だ。浅川で山裾の内陸側に回りこみ、一直線に南下するとほどなく海部に到着する。この海部駅、四国初の高架駅として誕生したが、乗り換えの便のため高架線上に構内踏切が設置されている珍しい駅だ。


四国八十八ヵ所のひとつ、薬王寺境内から望む日和佐の町とキハ1200形普通列車
(北河内―日和佐)
 
MAP
イラスト/石原ケンジ
交通アクセス
≪牟岐線・徳島駅への鉄道アクセス≫
空港から
徳島阿波おどり空港→徳島駅(連絡バス)
計430円

大阪から
新大阪→岡山(新幹線「のぞみ」)
岡山→徳島(JR特急「うずしお」)
計10,260円

著者プロフィール
芦原 伸
著者/芦原 伸
(あしはら・しん)
1946年生まれ。北大文学部卒。鉄道ジャーナル編集部勤務の後、フリーランスに。現在は(株)天夢人TEMJIN代表。日本旅行作家協会常任理事。日本ペンクラブ会員。著書には『鉄道おくのほそ道紀行 週末芭蕉旅』(講談社)、『60歳からの青春18きっぷ』(新潮社)、『鉄道シルクロード紀行』(朝日新聞出版)、『青春18きっぷとローカル線ののんびり旅案内』(洋泉社)ほか多数。
井上廣和
写真/井上廣和
(いのうえ・ひろかず)
1951年横浜生まれ。中学生から蒸気機関車を撮り始め、広田尚敬の助手を経て独立。鉄道写真では「四季をめぐる」をテーマに、色彩に包まれた車両たちを狙っている。日本写真家協会会員。『日本の私鉄シリーズ』(保育社)、『ぼくは5000がたでんしゃ』(小峰書店)、『ヤマケイレイルブックス』(山と渓谷社)、『JR全車両大図鑑』(世界文化社)ほか。
 
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