甲府市で生まれ千葉で育った。サンプラザ中野だー!
5歳の時、市川市に引っ越した。幼稚園は中退した。小学校に入るまでの1年間を自宅で過ごすこととなった。朝から晩までテレビを見ていた。言葉と音楽をテレビに教え込まれた。その頃特にはまっていた番組は「ロンパールーム」とケロヨンの「木馬座アワー」である。番組で流れていた交通安全の歌が好きだった。歌いながら踊っていた。今でもそらんじられる。
ロンパールームでは番組の終わりに、お姉さんが個人名を呼びかけるコーナーがあった。「鏡よ鏡よ、鏡さん。みんなに会わせてくださいな。そーっと会わせてくださいな」と手鏡に向かってお姉さんが唱える。すると手鏡の鏡の部分が透明になってお姉さんの顔が見える。そしてお姉さんが言う。「あら、太郎君。今日も元気そうね」「花子ちゃん。泣いてばっかりいてはダメよ」。そのたびに、なぜ俺(おれ)の名前が呼ばれないのか納得がいかなかった。毎日毎日見ていたというのに。
かようにテレビの世界にのめり込んでいた俺なのである。テレビから流れてくる流行歌はすべて聴いていた。昭和歌謡真っ盛りの時期である。
その話はまたするとして、1968年初めに起きた俺とロックとの最初の出会いを書く。それは1967年の年末に発売されたザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」であった。
最初に聴いたのは当然テレビだと思う。俺は一度聴いて大好きになってしまった。ロックの電撃に打たれてしまったのだ。初めて「買ってくれ」とせがんだレコードであった。
親は、ほうぼう行ったがどこも売り切れだった。最後の一軒で店主が言った。「これ店頭で回してたものだけど」。母はそれを買ってきてくれた。そのレコードは端っこが欠けていた。でも音はまともに聴けた。うれしくてうれしくて、一日に何十回も針を落とした。 つづく
| <サンプラザ中野 プロフィール>
1960年生まれ、山梨県出身。46歳。84年に爆風スランプのボーカルでデビュー。7月からソロ活動を開始。
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