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2007.8.1(水)更新  サンプラザ中野/ロックに 3rd LOVE
心に残った歌謡曲
 歌謡曲が美しかった。サンプラザ中野だー!

 「帰って来たヨッパライ」前後の歌謡曲について書く。1960年代の後半である。小学校の前半だった。両親はかなり歌好きであったと思う。特に亡父は後年「サンプラザ中野の父が歌います」とカラオケを歌っていた、らしい。なので我が家には自然と歌が流れていた。それはテレビからやってくる歌謡曲やポップスであった。

 美しい歌だ、と思った曲がある。ペギー葉山さんの「学生時代」である。64年の暮れに発売されている。幼稚園児の頭の中に「つたの絡まるチャペル」が厳かに輝いていたのである。そういえばミッション系の幼稚園だった。今聴いてもメロディーも歌詞も素晴らしい。とても好きなので爆風スランプでカバーした。92年にパンク・バージョンでだ。

 甲府の幼稚園を1年で退園し、千葉県市川市に引っ越しをした。その影響なのか、心に響いた歌があった。舟木一夫さんの「高校三年生」である。63年の夏発売。「ぼくら離れ離れになろうともクラス仲間はいつまでも」と心で泣きながら引っ越しをしたのである。単に、親の気持ちをなぞっただけかもしれないけれど。童謡に続き、この2曲が俺(おれ)の感情のメローな部分を醸成したと思われる。

 一方、面白おかしい曲も大好きなのであった。それはやっぱりクレージーキャッツの一連の作品なのである。カラオケのない時代、親族の集まりでのエンターテインメントは子供たちの歌なのであった。そこでウケるのは俺の至上の喜びだった。これが人前で歌う最初の体験であり、その快感が今の職業に至らしめたと言ってもよい。

 ウケる曲といえば61年発売の「スーダラ節」。天才・青島幸男作詞なのであった。ひざをカクカクさせながら植木等さんばりに歌ってみせれば、親族一同大爆笑。宴会の初めのうちは、いとこみんなで歌ってみせる。しかし親たちが飽きるまで歌い続けるのは俺一人なのであった。

<サンプラザ中野 プロフィール>

1960年生まれ、山梨県出身。46歳。84年に爆風スランプのボーカルでデビュー。7月からソロ活動を開始。

(2007年8月1日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)
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