好きな歌がいっぱいあるよ。サンプラザ中野だー!
その人の歌を意識したのは、1964年のヒット曲「幸せなら手をたたこう」が最初である。4歳の時だった。63年の夏に小児麻痺を患った俺にとって、この歌に合わせて手をたたくことは、良いリハビリだったのだろう。そして、この歌を歌ったのは、今は亡き坂本九さんである。
九さんは世界的歌手である。アメリカのチャート誌で1位を取ったこともある。それは61年に発売された「上を向いて歩こう」という曲。アメリカでは63年に大ヒットしている。最近はアニメ文化の影響で、日本語の歌を歌う海外の若者も増えている。それにしても、40年以上も前に日本語の歌がアメリカで1位を取ったのは奇跡だと思う。九さんの歌手としての力量、表現力のたまものなのだろう。
そんな九さんと俺に接点があった。81年のことだ。世界歌謡祭という音楽イベントがあった。日本武道館で毎年開催されていた。世界中から歌手やバンドが集められていた。日本からはアマチュアがエントリーされていた。優勝してプロデビューする人も多かった。そこに俺は出場した。「スーパー・スランプ」というバンドのボーカルとして。九さんは司会者なのであった。
俺たちは変わったバンドだった。俺の衣装は浴衣。ステージに布団を敷き、寝たまま登場した。回り舞台になっていた。イントロでおもむろに起き上がり、長髪のかつらを取るとスキンヘッドなのであった。歌っていた歌のタイトルは「尻の穴から出たい」。痒いぜー、痒いぜー、尻の穴が痒いー、と絶叫していた。
当然、優勝は逃した。しかし九さんにはいたく気に入っていただき、打ち上げ会場では奥様の柏木由紀子さんにも紹介していただいた。満面の九ちゃんスマイルで、俺の肩に手を置いて「由紀子、こちら中野君。あの面白いバンドのボーカルの」と。毎年8月が来るたびに、あの事故が悔やまれる。
| <サンプラザ中野 プロフィール>
1960年生まれ、山梨県出身。46歳。84年に爆風スランプのボーカルでデビュー。7月からソロ活動を開始。
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