大阪万博の年、10歳だった。サンプラザ中野だー!
小学校高学年。相変わらずテレビが大好きだった。「おれは男だ!」にはまっていた。71年2月から1年間放映された青春学園ドラマである。あまりにも好きだったので、主人公と同じ剣道を始めてしまった。主人公は若き森田健作氏。彼は主題歌も歌っていた。それは阿久悠さん作詞による「さらば涙と言おう」である。
「おれは男だ!」にはもう一つ影響を受けた。母と生き別れた高校生役で、志垣太郎さんが出演していた。彼はジープに乗り、海辺でトランペットを奏でるのであった。それを見た俺(おれ)は、できたばかりの合奏部に入りトランペットを吹くことにしたのである。楽器との出会いである。低学年にオルガンを習ったことがある。これは「習わされた」という感じ。右半身麻痺(まひ)の影響もあり、まったく身につかなかった。
翌72年。「ミュンヘンへの道」という番組がヒットした。ミュンヘンオリンピックを目指す全日本バレーボール男子チームをドキュメントで追いかけた番組。中学でバレー部に入ったのはこの番組の影響である。
アニメと実写で構成されていた。アニメドキュメントと呼ばれていた。この主題歌もかなり好きだった。「おぼえておくがいいよ、一途に燃えた日々 おぼえておくがいいよ、二度とない日を」。実はこれも阿久悠さんの作品なのであった。
阿久悠さん作のテレビ主題歌で最も影響を受けたのは「宇宙戦艦ヤマト」である。通っていた中学校に「歌声委員会」というものが新設された。みんなで声を合わせて歌うことですてきな中学生活を送ろう、という趣旨だったはず。なぜか初代委員長に任命された。ホームルームや全体集会で俺の指揮に合わせてみんなで歌ったのが「宇宙戦艦ヤマト」なのである。勇気のわく歌詞であった。
阿久悠さんの詞に育てられたと言っても過言ではない。
| <サンプラザ中野 プロフィール>
1960年生まれ、山梨県出身。46歳。84年に爆風スランプのボーカルでデビュー。7月からソロ活動を開始。
|