フォークソングがやってきた。サンプラザ中野だー!
1972年のことだ。吉田拓郎の「結婚しようよ」が大ヒットしたのだ。俺は小学6年生だった。この歌を口ずさみながら下校したのを覚えている。
この年はフォークの当たり年と言って良いだろう。吉田拓郎は3曲発表している。「結婚しようよ」「旅の宿」「おきざりにした悲しみは」である。「旅の宿」も大好きだった。井上陽水も改名し、再デビューした。曲は「人生が二度あれば」。ブレークしたのは翌73年の「夢の中へ」。これもよくラジオで聴いた。中学1年生であった。ラジオに目覚めた年である。そして深夜放送へとはまっていくのだ。
ガロの「学生街の喫茶店」もこの年。あがた森魚の「赤色エレジー」、もとまろの「サルビアの花」もである。後に俺のロック人生に大きく影響を与えるあのグループは、「ぼくの好きな先生」がヒット。それはRCサクセションだ。70年にフォークグループとしてデビューしていた。
それからフォークじゃないけどこの年のヒットは、宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」、ちあきなおみ「喝采」、山本リンダ「どうにもとまらない」などである。爆風スランプで「女の道」という歌を作った。お肌の曲がり角を迎えた女性が、ティーンに年をとることの切なさを切々と歌う歌であった。もちろんぴんからトリオへのオマージュである。「女の道は下り坂」と歌った。意外に女性に人気があったのだ。
さておき、小学6年生と中学1年生の時、吹奏楽部に所属した。小学校ではトランペットを、中学ではトロンボーンを担当した。当時まだコピー機が一般的ではなかったため、譜面は手で五線紙に書き写していた。曲を覚えるのに役立ったが、大変だった。実力の高い部で、教え方の厳しさに負けて冬には退部してしまった。それからすぐに譜面の読めない人に逆戻りしてしまった。それ以来ほとんど読めないままである。情けなし。
| <サンプラザ中野 プロフィール>
1960年生まれ、山梨県出身。46歳。84年に爆風スランプのボーカルでデビュー。7月からソロ活動を開始。
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