突然ロックコンサートに行った。サンプラザ中野だー!
日比谷の野外音楽堂に行ったのだ。77年5月のことだ。俺(おれ)は高校2年生で美術部員だった。なので昼休みに美術室にいた。すると尊敬する堀切先輩が現れ、言った。「誰か放課後、マキOZを見に行かないか?」。マキOZとはロックバンド「カルメン・マキ&OZ」のことなのであった。
カルメン・マキを覚えていた。カルーセルと間違えたりはしなかった。69年の大ヒット曲「時には母のない子のように」(作詞・寺山修司)。フォーク調の曲を寂しげに歌う印象が残っていた。紅白歌合戦にも出たのであった。そのカルメン・マキがロックバンドを率いて歌うというのだ。
「俺行きます」と手を挙げた。そして放課後、先輩と俺は柏駅から千代田線を使って日比谷へと乗り込んだ。
コンサートは2度目。中野サンプラザでのチューリップ以来だった。客の雰囲気が全く違う。野音は過激なスタイルの若者でいっぱいだった。ちょっと怖かった。
ステージがいつの間にか始まった。一人の男性が登場し、突然しゃべり出した。ラビット関根であった。「ぎんざNOW!」でよく知っていた。ロックコンサートなのにお笑いが前座なのであった。面白かった。
そしてバンド演奏が始まった。これも前座だった。けったいな格好をした男が「君に指輪をはめたいのさ」と歌っていた。へんちくりんに思えた。彼らは「RCサクセション」と名乗っていた。彼らが去り、日が落ちた。客席が興奮に包まれた。そしてカルメン・マキ&OZが始まった。
俺は完全にやられていた。激しい歌に。でっかい音量に。まばゆい照明に。素晴らしい歌声に。カルメン・マキ&OZに魔法をかけられてしまったのだ。2時間足らずの出来事だったと思う。やっぱり生はすごい。マキOZはすごい。
生まれて初めて、魂が揺さぶられた夜だった。
| <サンプラザ中野 プロフィール>
1960年生まれ、山梨県出身。47歳。84年に爆風スランプのボーカルでデビュー。7月からソロ活動を開始。
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