初めてロックを歌う。サンプラザ中野だー!
俺(おれ)は高校に入学した時、一つの間違いを犯した。それは陸上部に入部したことだ。右半身麻痺(まひ)の影響で運動はうまくない。だからすぐに挫折した。そして2学期から美術部に入部。軽音楽部と兼ねているメンバーが多くいた。その中にのちにパッパラーと呼ばれる河合君もいたのであった。
軽音楽部、それはロック部なのであった。いわゆる不良の巣窟(そうくつ)であった。俺には理解できないディープ・パープルとかレッド・ツェッペリンとかキング・クリムゾンとかを、ジミヘンではないが、「紫の煙」をくゆらせつつコピーしていたらしい。
俺は、ほとんどの音楽情報はテレビから得ていた。相変わらず。でも78年のテレビは音楽がきらきらしていた。だって「ザ・ベストテン」が始まっていたのだもの。
「ザ・ベストテン」はTBSの歌番組。78年の1月から木曜日のお茶の間を盛り上げまくったのだった。その番組で俺は世良公則&ツイストを知った。前年の世界歌謡祭でグランプリを取ったバンドだ。「あんたのバラード」にはぶっとんだ。世良さんのうなり声は圧巻だった。続く「銃爪(ひきがね)」では、ザ・ベストテンの78年の年間第1位に輝いた。
そしてこの年の夏。日本ロック史上最大の衝撃がザ・ベストテン視聴者を襲った。新人紹介コーナーにサザンオールスターズが登場したのだ。いやー、びっくらこいた。ものすごいモノを見た、と思った。軽音楽部員はこぞってコピーし始めた。特に河合が熱心だった。なぜならば顔が似ていたのだ。桑田さんと河合は。
そして文化祭がやってきた。体育館のステージで河合が「勝手にシンドバッド」を歌い出した。観客にコーラスを求めた。何人かがステージに駆け上った。俺もその中にいた。「今、何時」「そうねだいたいね」と端っこで歌った。快感だった。これが初ステージとなった。
| <サンプラザ中野 プロフィール>
1960年生まれ、山梨県出身。47歳。84年に爆風スランプのボーカルでデビュー。7月からソロ活動を開始。
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