ロックの電撃に撃たれた。サンプラザ中野だー!
宅浪生だった79年。夏のある夜、渋谷陽一氏がラジオで日本のロックを特集した。全身に電撃が走った。「P―MODEL」というバンドのデビューアルバム「イン・ア・モデル・ルーム」(79年)だった。オンエアされた「美術館で会った人だろ」「子供たちどうも」の2曲に、完全にやられてしまった。ロックという音楽の革新性と創造性と可能性にやられちまったのだ。
それまで洋楽のロックにはほとんど感応しなかった。それは言葉が入ってこなかったから。P―MODELはリズムと言葉が見事だった。ロックにはロックの歌詞の乗せ方があるのだ、と気付かされた。そしてテクノポップ・ニューウエーブというジャンルにはまっていった。
「プラスチックス」「ヒカシュー」「P―MODEL」が御三家であった。どのバンドもとても革新的であった。そして軽かった。日本の歌にありがちな湿り気が感じられなかった。茶の間ではなく、リビングルームでテレビを見て育った最初の世代なのではないだろうか。畳ではなくフローリングってことね。しかしアメリカへの強いあこがれを持つ世代ともまた一つ違っていたのではないだろうか。
さて受験勉強である。こちらは実に順調だった。卒業時点で一般動詞とbe動詞の違いがわからない男だった俺(おれ)。しかし努力は実った。夏に受けた模試ではことごとくA判定。希望校すべてに合格可能な男となってしまっていたのである。
勉強は続けた。しかし外にも出るようになった。特に記憶に残っているのは大みそかに浅草の国際劇場で催されたロックフェス。一緒に行ったのは河合。現パッパラー河合である。高校の同級生である。彼も浪人生だった。
様々なバンドを朝まで楽しんだ。べろべろに酔っぱらって家に帰った河合君。元旦早々、玄関で父親に鉄拳制裁を食らったそうである。痛いお年玉である。
| <サンプラザ中野 プロフィール>
1960年生まれ、山梨県出身。47歳。84年に爆風スランプのボーカルでデビュー。7月からソロ活動を開始。
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