そして受験がやってきた。サンプラザ中野だー!
実際家族が心配するほど俺(おれ)は勉強していた。それが証拠に音楽以外の趣味は電話だった。出版社への電話、である。参考書・問題集の間違いを出版社にただすのである。問い詰めるのである。暗い。かなり暗い。また夜中に煮詰まると壁に枕をぶつけた。何十回も。延々と。かなり病んでいた。マジで。
しかし勉強は順調。どの問題集もわからない問題がなかった。あまりに頭が良くなったので1月からは勉強をやめた。これ以上入らない、と思ったから。沢田研二はパラシュートを背負って歌っていたし。
そして受験開幕。俺は受けまくった。青山学院大学、中央大学、明治大学。目指す総大将は早稲田大学。勉強机の前に勝手に祭った「早稲田大明神」様に毎夜願をかけて勉強し続けたこの1年。落ちるわけにはいかないのだ。恋愛復縁成就もかかっているのだ。顔に墨を塗って「とても好きさ」と打ち明ける意気込みなのだから。
早稲田だけでも5学部に願書を出していた。その1発目が政治経済学部政治学科だった。さすがに難しかった。社会で全くわからない問題が1問あった。ショックだった。しかし充実感はあった。受かる、と確信した。全力を出し切ったのだった。
そして2月末、合格発表。俺は親友と掲示板の前で喜びいっぱい抱き合った。週刊誌に写真を撮られた。後日掲載された。それから友人と別れ、一人渋谷に向かった。なぜ行ったのかは覚えていない。何となくふわふわと行ったのだろう。
渋谷に着き、ふらふらした。ふと目をとめると「屋根裏」と看板が出ていた。これがあの有名なライブハウスか、と興奮した。出演者は「アナーキー」だった。日本のパンクバンドの祖、アナーキー。LPデビューのその日のライブだった。俺は一番前の席で、一人興じた。最高だった。強烈だった。初めてのパンク体験。初めてのライブハウス体験だった。
| <サンプラザ中野 プロフィール>
1960年生まれ、山梨県出身。47歳。84年に爆風スランプのボーカルでデビュー。7月からソロ活動を開始。
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