恋愛復縁は成就したのだ。サンプラザ中野だー!
無事に早稲田に合格した。その日の夜だったと思う。彼女に電話をかけた。携帯はまだ無い。影も形も無い。当然、家に電話をかけた。ほぼ1年ぶりだった。
数回のコールの後、女性が出た。「や、夜分に失礼いたします。な、中野と申しますが、○○さんはいらっしゃいますでしょうか?」。出たのは彼女の母親だった。「ああ、○○はスキーに行っています」「あ、そうですか。では、電話があったとお伝え下さい」「わかりました」「では失礼します」。こんなやりとりだった。「スキー」という単語に宅浪生だった自分と現役で大学生になった彼女との身分の差を突きつけられた。寂しい風が心を吹き抜けた。松山千春が「それでも恋は恋」と歌っていた。
数日後、電話が来た。彼女からだった。そしてそして、復縁することができたのだ。彼女は言った。「あんなに怠け者だった中野君がこんなに頑張るなんて」「偉かったね」。俺(おれ)は泣いた。心の中で。竹内まりやは「恋は不思議なピーチパイ」と歌っていた。
そして入学式。早稲田にかぶれていた俺はバンカラスタイルで登校した。学ラン・角帽・高げた、手には風呂敷包みである。そして頭の中には「都の西北」。そんな俺に運動部員が目を付けた。体育会ボート部である。「背が高いねぇ」「高げたですから」「運動やってた?」「やり投げを少々」「いいねぇ。ボートやらない?」「いやー」「大丈夫。ボートはインテリのスポーツ。科学的にカラダを強くしていくんだよ」「はあ」「早慶戦出たくない?」「出たいです」「じゃあ決まりね」「よろしくお願いします」
そして体育会ボート部員となり、学ランで毎日登校した。毎日学校に行って、毎日練習に参加した。ボートは埼玉の戸田にあるので基礎トレーニングのみだった。そんな生活に飽きを感じだした4月の下旬。とあるバンドのライブに誘われた。スーパースランプだった。
| <サンプラザ中野 プロフィール>
1960年生まれ、山梨県出身。47歳。84年に爆風スランプのボーカルでデビュー。7月からソロ活動を開始。
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