中野サンプラザ、再び。サンプラザ中野くんだー!
81年のコンテストシーズン。一発目のマツダカレッジサウンドフェスティバルは決勝に残るも、賞は無し。しかし「ウケた」という実感は残った。なので勢いは落ちなかった。我々「スーパースランプ」の。
この頃ライブハウスにも出演するようになっていた。地元・柏のクレージーホース、そして渋谷の老舗(しにせ)・屋根裏にだ。屋根裏は当時のあこがれのハコである。出られると知ったときには死ぬほどうれしかった。しかし、平日の昼間の部という、集客がほとんど不可能な時間帯なのであった。でもでも、とにかくうれしかった。
一方「恋はベンチシート」は不調だった。頭をそってしまっていたからだ。「ツッパリ High School Rock’n Roll」でもあるまいし、彼女には不評を買いまくっていた。「ルビーの指環」を買って気を引く財力もない。「守ってあげたい」俺(おれ)の気持ちは空回り。「長い夜」を何度も明かして、結局「サヨナラ模様」なのであったよ。
片やバンドは快進撃だった。初夏、EastWest’81予選会に出た。前年は茨城からエントリーした。しかしこの年は堂々とお茶の水のM楽器という店から出た。フラれそうで悶々(もんもん)としていたからだろうか。鬼気迫るパフォーマンスを見せた。審査員はけおされたようだ。勢いで東京Aブロック大会も勝ち抜いた。そして2年連続の本選・中野サンプラザへと進出した。
8月23日。俺はサンプラザのステージに寝ていた。浴衣で布団に入っていた。演奏が始まり、おもむろに起き上がる。手おけの水で顔を洗い「ミミズのラブ・ソング」を歌い出す。頭にはカーリーヘアのかつら。歌い終わると同時にかつらを取る。丸ぞりの頭が露出する。客席は一瞬たじろいだ後に爆笑。そして2曲目の「尻の穴から出たい」を熱唱した。結果、俺たちは優秀グループ(準優勝)に選ばれたのである。うれしかったよー。未来が開けた気がしたよー。21歳の夏であった。
| <サンプラザ中野くん プロフィール>
1960年生まれ、山梨県出身。47歳。84年に爆風スランプのボーカルでデビュー。7月からソロ活動を開始。
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