そしてサンプラザ中野になった。サンプラザ中野くんだー!
スーパースランプはEastWest’81で準優勝した。YAMAHA主催のバンドコンテストの関東甲信越大会だ。コンテストの打ち上げに呼ばれた。自己紹介の順番が近づいてきた。隣の女性が助け舟を出してくれた。「中野君なんだから、サンプラザ中野です、とか言ってみれば?」と。言ってみた。ウケた。爆笑がわき起こった。そのまま芸名にすることにした。
コンテストシーズンはまだ続いた。YAMAHA主催の全国大会に自動的にエントリーされたのだ。それはLMC(ライトミュージックコンテスト)。
本番前夜に宴会があった。全国の代表ミュージシャンと盛り上がった。一番陽気だったのはジュニア部門・九州代表のザ・チェッカーズ。人見知りの俺(おれ)だがついつい引き込まれた。合宿施設の廊下を転げ回って一緒に楽しんだ。あまりにも騒ぎすぎた。「いい加減にしろ!」と怒鳴られた。北国代表のギタリストだった。「すみません」と謝りながらも県民性の違いを思った。
9月15日、三重県・合歓(ねむ)の郷(さと)は晴天だった。全国から応援団が押し寄せた。母もツアーバスでやってきた。野外ステージでカツラ・浴衣パフォーマンスを展開した。ウケた。予想以上にウケた。全国的にウケた。満足だった。
そして審査発表。ジュニア部門の優勝はザ・チェッカーズ。面白かった。歌もうまかった。シニア部門準優勝はEastWest代表の爆風銃(バップガン)。ファンクがいかしていた。後に合体するとは思いもしなかった。グランプリは関西からのアーリー・バーズ。メンバーにはカルロス菅野氏がいた。後にオルケスタ・デ・ラ・ルスを率いてグラミー賞にノミネートされた。審査員の耳は確かだったのだなぁ。
俺たちは無冠だった。が、なぜかコンテストは続いた。それは世界歌謡祭’81。舞台は日本武道館へと移ったよ。
| <サンプラザ中野くん プロフィール>
1960年生まれ、山梨県出身。47歳。84年に爆風スランプのボーカルでデビュー。7月からソロ活動を開始。
|