
植物が数限りなく世の中に存在するように、それが人間の手で新たな何かに変換される可能性もまた無限にあると思う。花屋として植物やお客さんと向き合う中で、自分のフィルターを通してより生々しく、植物の新たな在り方を表現したいと思うようになった。
私が最初に展示の機会をもらったのは海外だった。ニューヨーク、モナコ、パリ、ドイツ――無名の日本人が見知らぬ土地に飛び込み、自分の表現をする。肩書にとらわれず作品そのものを見てくれる人々の反応は良くも悪くも明確で、ダイレクトに響いた。
それでもやはり、自分の国で自分の表現を追求したい。だが当時、日本のギャラリーや美術館はどこも冷ややかな反応だった。花のにおいや枯れていく様、汚れなどが懸念されたのだ。敬遠されがちなこれらの点こそ、作品が「生きている」とリアルに感じることのできる要素なのに、である。
だから私は、2007年から2年間限定でプライベートギャラリーを開いた。そこで私は何の制約を受けることもなく、毎月1作品ずつ計24作品を発表し続けた。植物に日々接する中で広がっていく可能性と対峙(たいじ)し、新たな価値観を生み出していきたい。そんな思いに突き動かされていた。
私の作品に、根から掘り出した松を鉄のフレームに宙づりにしたもの=写真=や、氷の固まりに閉じ込めたものがある。コンクリートの柱の中からアマリリスの球根が芽を出し花を咲かせる、という作品もある。厳しい批判を浴びたこともあるが、私は人間が作ったものと自然の造形があえてぶつかり合わないと、新たな美は生まれないと思っている。
今まで誰も見たことのない側面を切り取り、植物の息づかいを聴くように神経を研ぎすまして作品を見てもらう。常識という小さい枠にとらわれず、人々の価値観を壊して植物との新たな接点を投げかける。それもまた、自分の使命だと思っている。