料亭を営んでいた長崎の実家には、質流れになった絵がよく飾ってありました。その中に、模写だと思いますが、狩野芳崖の「慈母観音」(※)がありました。子どものころ、よくその絵を描き写して遊んでいました。
絵に囲まれて育ったこともあって、自分でも描きたいと思うようになり、終戦後、本格的に日本画を習いました。勉強のために展覧会に足を運び、多くの名画と出合いました。今も鮮明に覚えているのが上村松園の母子像です。のびやかな線描、あさぎ色の着物、お歯黒をした母親の母性に満ちたまなざし、抱かれている子どもの頑是無い姿。展覧会の期間中、毎日のようにその絵の前に通って目に焼き付けました。
実母とは、2歳の時に死別しているので、母親像に特別な思い入れがあるわけではありません。ただ、私の中には、マリア像や観世音菩薩(ぼさつ)に象徴される「母性」が常にあります。私が赤ん坊を大好きなのは、あどけなく邪気のないもの、純粋なものをこよなく愛しているからです。「慈母観音」にも、松園の母子像にも、その慈しむ心が描かれていたからひかれたのだと思います。
長崎で被爆した時、自分の身が焼けただれているのに、子どもを守るように抱えて死んでいる母親の姿をたくさん見ました。私がシンガー・ソングライターの元祖として知られるようになった「ヨイトマケの唄」は、幼い日に見た、子どものために汗水流して働く肉体労働者の母親がモデルです。親が子を思い、子が親を思う心は、純粋な愛の形だと思います。私はそういうもの以外には触発されなかったし、歌として取り上げようとも思いませんでした。
この世で一番美しいもの。それは、自分はどうなってもいいから相手を助けたいと思う心、見返りを求めない与えっぱなしの愛だと思います。私の生き方や表現の根底には、常に「無償の愛」があるのです。
その至高の美を表現し、様々な形で多くの人々に伝えることはアーティストの使命です。そう思いながら私は今も舞台で演じ、歌い続けているのです。
※東京芸大所蔵の作品(重要文化財)は「悲母観音」と称される。
◇9月は映像作家の村田朋泰さんの執筆です。