僕が立体アニメーションを制作するきっかけとなったのは、1人のチェコのアニメーション作家の作品だった。その後、何人かのチェコの作家を知った。イジィ・トルンカ、ヤン・シュバンクマイエル……。
作品のスタイルは違えど、底に流れる共通点がある。匂(にお)いのようなものだ。どの作品も独自のユーモアがある。侵略の度に変わる言語のこと、母国語は人形劇のみに使われていたこと。1968年の「プラハの春」から、1989年の「ビロード革命」に至る一連の時代。国そのものの悲劇。
彼らの作品が重い歴史を背負ったものだと言いたいのではない。彼らは、そうしたわかりやすい説明に意味を見いだしていない。「自分とはなにか」から出発し、人間の愚かさ、悲しさ、暗さといった根源的な深みについて問い、さらに上ったところから僕らを見ている。そんな作品だ。
僕は自分の中にある「なにか」について考える。声を荒らげて主張しなければならないことはひとつもない。だけれど作品はなにかを主張しなければいけないのだろうか、訴えるものがなければいけないのだろうか。
僕は両親のことを考えた。自分が一卵性双生児だということを考えた。生まれ育った町や、出会った人たちのことを考えた。答えの出ない思い。説明のつかない出来事。思い出すと恥ずかしくなること。人に話してどうなるものでもない、澱(おり)のようなもの。そんなことを作品にすることはできないか。
試行錯誤を重ね、いくつかの習作を作った。その後、大学の卒業作品として「睡蓮の人」=写真=を作り、大学院修了作品では「朱(あか)の路(みち)」を制作した。主人公の男が抱えている思いを、台詞や語りもなく、目の動きと間、手のしぐさ、それを取り巻く自然現象だけに絞って表現した作品である。
「自分とはなにか」。それは今でもよくわからない。それでもこの二つの作品は僕の匂いがする作品だと思う。