10年ほど前、南部の鉄瓶にふさわしい湯のみを求めて「うちだ」という骨董(こっとう)店を訪れた。土間と土壁の空間に、車箪笥(だんす)や弥生時代の土器などが展示されたモノトーンの空間では、白磁のそばちょこがひときわ白く輝いており、一目ぼれしたそれらを5客、湯のみに見立てて購入した。
時を経て、昨年秋に茶封筒で「うちだ農場」という所から有機米販売の案内状が舞い込んだ。送り主は、「うちだ」をたたんで農業を始めた内田明夫氏だった。貴重な玄米を5キロほど譲っていただくと、内田夫妻が耕作し始めて間もない土のわずかな栄養を必死で吸い上げたであろう野趣にあふれたそれは、噛(か)めば噛むほど味が出て、おいしかった。
あこがれの晴耕雨読生活をのぞき見するような軽い気持ちで、犬蓼(いぬだて)や吾亦紅(われもこう)が自生する長野県の緩やかな丘陵地を訪ねてみたが、現実はそんなに甘いものではないらしい。
自然農を始めた今年からは、耕さず、水もやらず、肥料もやらず、殺虫などもってのほか。雑草も作物の成長の妨げになるものだけを刈り、あとは自然の生態系に任せる。
しかし、瞬く間に伸びる草、そして、目を離すとすぐに肥大する野菜との追いかけっこで、休む間もないとのこと、晴耕雨読ならぬ「晴耕雨耕よ」とみち子夫人は苦笑する。
木曽かぶや辛味大根など、草間で育った取れたての野菜が料理された昼食は、素材の力強い味が存分に引き出され、命の源を頂戴(ちょうだい)しているという実感があった。骨董も作家物の美しい器も、無印良品のシンプルなお皿と共に食卓に並び、その扱いに優劣など存在しない。
雑草とも野菜とも見分けのつかない田畑をそろそろと巡る最中、風にそよぐすすきの彼方(かなた)に、はざ掛けしたばかりの稲が西日を浴びて黄金色に輝く様は、どんな画(え)よりも美しく見えた。
「人が作る物にあまり興味がなくなってしまったんですよ」
内田夫妻がたどり着いた究極のアートは、厳しくも美しい自然という名作だったのだ。(女優)
◇11月は永青文庫理事長の細川護熙さんの執筆です。