
作品写真・野中昭夫 写真提供・新潮社 |
「修禅寺物語」は岡本綺堂が明治41年秋、静岡県の修善寺を訪れた際、作者不明の古いお面をみて創作した戯曲だが、学生時代に読んで以来、修善寺という土地に対する私なりのイメージを形づくってきた。
鎌倉時代、伊豆・桂川のほとりに夜叉王(やしゃおう)という面作りの名人がいた。将軍頼家はかねて自分の顔を後世に残すべく夜叉王に面を注文していたが、なかなか出来あがらないので、ある秋の晩、催促にやってくる。夜叉王は何度作ってもその面に死相が現れるのでそんな作品は渡せないというが、頼家は怒って夜叉王を切ろうとする。美しい長女のかつらがその面を頼家に献上し、かつらは側女として御殿に出仕することになった。しかし、その夜、北条の討っ手に襲われた頼家は殺され、面をかぶって頼家の身代わりとなって戦ったかつらは瀕死(ひんし)の重傷を負う。父夜叉王は自作の面が将軍の運命を暗示するほどの作であったことに満足の笑みを浮かべつつ、まさに死なんとする娘かつらの断末魔の面を写しとろうと筆を走らせる。
芸術家の孤高が叙情あふれる中に表現された作品で、以来私は能面だけでなく、狂言面や神楽面なども気を付けて見るようになった。白洲正子さんと、友枝喜久夫さんの舞台に足を運んだりした折、能や能面についての話もいろいろと拝聴した。
舞台で面をつけるということは、目も耳も全く不自由になることで、催眠術にかかったような状態になるのだそうだ。精神を集中させるために、なるべく外は見えないにかぎる。目でなく胸で見るのだというような話をなるほどと思いながら面白く聞いた。
漆をはじめてから、ぜひ自分でも面を手がけてみたいと思っていたが、たまたま出雲の知人から伝統的な神楽面の木地を分けて頂いたのを幸いに、黒や赤の漆を塗り重ね、金箔(きんぱく)を張って仕上げたのがこの写真の神楽面で、なかなかよく出来たと自画自賛している。