小学生の頃、美術品の蒐集(しゅうしゅう)家であった祖父護立の東京・田老松町(現・文京区目白台)の屋敷には、中国・唐時代の大きな仏像十数体が、庭隅の雑木林の木陰に約20メートルにわたって立ち並んでいた。こどもの背丈を超えるその仏像群のあたりで、近所のこどもたちとよくかくれんぼをしたりして遊んだものだった。そこに置かれていた石像の十一面観音や三尊仏は、現在は上野の国立博物館におさまっている。
それから六十年余たった今頃になって、改めて京都・嵯峨野の化野念仏寺や取材で行った滋賀の石塔寺の石仏などに魅(ひ)かれるようになった。郷里の熊本にある、武蔵が最晩年を過ごしたという霊巌洞脇にある五百羅漢や大分・国東半島の磨崖(まがい)仏なども一度ならず見に出かけたし、また近江路の畦道(あぜみち)などにひっそりと一隅を照らすように立つ野の仏たちにはとりわけ魅かれるものを感じる。
おそらくは「村のはずれのお地蔵さんはいつもニコニコ見てござる」という童謡にある赤いよだれかけをしたお地蔵さんのイメージが原体験としてあるからかもしれない。お地蔵さん信仰は、平安時代に中国から伝えられたといわれるが、その後、阿弥陀信仰や道祖神信仰などとも結びつき、町や村の入り口やそこここの辻々で見られるようになった。
やきものを始めて十年あまり、茶陶を中心につくってきたが、そんなわけでこの二、三年、やきもので仏さんもつくってみようと思いたち、信楽の土で折にふれて手がけている。地蔵菩薩(ぼさつ)や十一面観音、阿弥陀如来などすでに20体ぐらいは作ったかと思う。1300度近い穴窯で焼かれた仏さんたちのお顔は、ときに鼻が欠けたり、片耳がとれたり、そこに松の灰がかかって、苔(こけ)むした石仏よりもはるかに古仏らしい風格を漂わせるようになるから面白い。
日常の暮らしに入りこんで、願いごとをかなえ、死んだあとも願いを聞き入れてくれる、そんな頼りがいのある陶仏たちは、これからも私にとって興趣の尽きぬモチーフであり続けるだろう。(永青文庫理事長)