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William Sturgis Bigelow Collection
Photograph©2008 Museum of Fine Arts,
Boston. All Rights Reserved./DNP ARCHIVES |
伊藤若冲(じゃくちゅう)を出すからには曽我蕭白(しょうはく)にも登場願わねばならない。
蕭白は若冲と同年輩だが、装飾画ではなく、水墨画を得意としていた。廃れていた曽我派の画風の後継者を自認しながら、それを逆手にとって超前衛的な表現を展開した。
彼の風変わりな個性は二十代ですでに発揮されているが、三十代前半に沸騰点に達した。34歳の時に描いた「雲龍図」(写真は一部、ボストン美術館蔵)の大目玉の龍は、龍というよりむしろ怪獣である。
この絵は、どこかの寺院の本堂の襖(ふすま)絵だったのをはがしたものらしい。その寺を探して復元する話になったが、お目当ての兵庫県高砂市周辺では一向に見つからない。寸法が合わないのである。そのうち、NHKの人が伊勢神宮の近くの中山(ちゅうざん)寺という禅寺の本堂を見つけ、ここなら寸法が合いそうだという。早速出かけると、かもいが少し高いのを除いて、あとはぴったりだ。
ボストンから取り寄せた写真を、原寸大に引き伸ばし、襖を新調して張り付けた。首尾は上々で、復元された「雲龍図襖絵」の壮観をテレビで見て堪能された方もおられるだろう。こんな型破りの画家が、江戸の封建社会にいたのだ。
三重県松阪市の朝田寺の「唐獅子図」も、もと壁張り付けだったもので、表現の大胆さ、力強さは雲龍図に劣らない。それから数少ない着色の屏風として、いまや有名な「群仙図屏風」(文化庁蔵)の、ケバケバしい狂騒の演出を見ると、この人が、狂気の一歩手前まで行きながら、それを抑制する力を持ち合わせていたことがわかる。横尾忠則、村上隆といった現代の前衛アーティストが、蕭白の大ファンだということも付け加えておこう。