「二足のわらじをはく」。二つの職業を両立させる意味で使うが、森林太郎(鴎外)はその見本である。二足では重くてすぐ脱げる、一足の方が歩きやすいに決まっている。だが鴎外はあえてそれを自分に課した。理由は私にはよくわからない。立派だが歩きにくい人生だったろう。
鴎外よりもっと軽快に、自由に、二足をこなした人が江戸時代にいる。与謝蕪村である。軍医という実務と作家という虚のわらじを重ねて履いた鴎外に対し、蕪村の場合は俳人と画家という、虚のわらじだけを履き重ねただけに、履き心地をさほど苦にしなかったかもしれない。第一級の画家と第一級の文学者とが、主従の区別なく1人の人格の中に共存しえた例は、そうざらにあるものではなかろう。私など、寡聞にして蕪村のほかに知らない。
これまで、さまざまな「蕪村展」が行われてきた。その大方は、蕪村の絵画のみに目を向け、俳人の面については俳画のためのコーナーか、一室を設ける程度で間に合わせている。そのせいか、俳句の蕪村と画家の蕪村とは別人だと思い込む人もいるらしい。
私が館長を務める滋賀県のMIHO MUSEUMでは、「与謝蕪村−−翔(か)けめぐる創意(おもい)」(3月15日〜6月8日)と題した展覧会を行うことになった。およそ十年前に江戸東京博物館で催されて以来の大規模な蕪村展である。
画家と文学者の二面性をバラバラに扱うのではなく、一個人の多彩な歩みとして、二つの関係を大きくとらえた展示にしようと考えている。幸い、蕪村の俳句を専門にする藤田真一先生(関西大学教授)の熱心なご協力を得て、文学者としての歩みとその特性を、画家の側面と並行させる展示の仕方をあれこれ考えた。写真家の野中昭夫氏が、蕪村の足跡と俳句に合う美しいイメージの写真を用意してくださった。
さてどうなるか。すべてはフタをあけてのお楽しみである。亡くなる前年の大作、銀地「山水図屏風(びょうぶ)」も出番を待っている。これは数年前に存在が知られた初公開のもの。見る人はその迫力に圧倒されるだろう。