気が付けば、「絵描き」から「自動人形師」の領域に踏み出して20年の月日が流れた。作品を作り続ける中で、その仕組みや傾向も変遷を遂げてきた。だがもっとも変わったのは、「作品の見せ方」である。
私の作品は、箱の中で音楽やライトの変化を伴いながら人形が物語を紡ぐ、いわばミニチュアの劇場。ただ「台本」というものがない。そもそも、回転するだけの人形が様々なイメージを想起させたことが出発点であったため、初めから物語があることが不自然に感じられたのだ。
だがある日、自分の作品を何げなく見ていた時のこと。今まで意識していなかった「一つの物語」が浮かび上がってくるではないか。以来私は出来上がった作品に、一観客として解釈した物語を、口上として語るようになった。例えば夜、裸電球のもとで行われる大道芸を連想すると分かりやすい。「多くの人が車座になって、1人の男が差し出した怪しげな箱を見つめている。男はおもむろに箱のスイッチを入れる。音楽が流れ、箱の中でぎこちなく動き出した人形を横目に、男は物語を語り出す――」
だが例外もある。例えば文学作品を題材にしたものなら、物語を作る必要はない。この場合、作りながら物語を探っていくオリジナル作品とは違い、元の物語を自分の手法に合うように解釈し直し、最後の段階で近づけていくという手順を踏む。いずれにせよ一番注意しているのは、物語に解釈の余白を残すということかもしれない。私の口上もまた、後から付け加えた一つの解釈に過ぎない。物語とは元来、人それぞれの感じ取り方があってしかるべきだ。
ある展覧会で、1人の年老いたご婦人が作品の歌姫が歌う古いジャズのナンバーを一緒に口ずさむのを見たことがある。その少女に返ったような瞳を通し、私もまた見知らぬ時代を旅させてもらったような気がした。「見る人の数だけ物語がある」。そんな作品がいい。
今年1月の展覧会では、初めて人形が出てこない作品を作った。「自動人形師ムットーニ」の肩書もあやしくなってきたこのごろである。(自動人形師)
◇4月は画家の山口晃さんによる執筆です。