バイオリニストの妹・真理子が12歳で華々しくデビューした時、画家の兄・博と僕は、こういう人生もありなのか、と思った。3人とも慶応義塾の付属に学んでいた。よほどの事が無ければ大学まで進める一貫教育の中で、皆と違う運命を歩き始めた妹が羨(うらや)ましかった。その道を究めてベストを尽くすなら何になっても良い、と工学者の父が言った。実はもうその頃には人生を賭けて熱中出来るものの存在が僕たちには見えていた。
少年時代、兄の美的感覚と時代的センスは憧(あこが)れだった。特に服の着こなしは僕には追いつけず、いつもお下がりの服を心待ちにした。もっと小さな頃、絵や漫画を描く事も楽しそうでいつの間にか僕もその横でまねをした。ある時、家の壁に絵を描いていた僕たちは別の事に気を取られ中断した。「途中でやめたら落書きになってしまう。最後まで描けば立派な作品になる」。父と母はそう言った。兄は嬉(うれ)しそうに作業を再開した。家中僕たちの作品で溢(あふ)れ、あの時ものを創(つく)る楽しさや達成感が僕たちにすり込まれた。
兄は音楽にも興味を持ってエレキギターを弾いたり一時は指揮者に憧れたりもしていたが、本命は日本画家になる事だった。あのお洒落(しゃれ)な彼がボロ雑巾(ぞうきん)のようになって東京芸大受験に挑み、合格した。
僕のスイッチは中学時代、彼に影響されて興味を持ったクラシック以外の音楽の創造だった。自己流で様々な楽器に触れ、オリジナル曲を1人で多重録音した。目には見えないが音楽という自分が創った自由な時間がそこにある。音楽の魅力に取りつかれ、僕も兄と同じく専門家への関門に挑んだ。
作曲家は時間を創る職人であるが、僕は兄の作品から多くの影響を受けた。人影が殆(ほとん)ど登場しない彼の絵は一瞬の切り取りではない。千住博は音楽のように長い時間の経過を描いているのだ。