今から10年近く前、ドイツのベルリンに留学していた時のことだ。大学の知人が、毎日決まった時刻になると駅前へ出かけて行き、リュックサックを背負った10人ほどと落ち合っていた。広場で何やら話していたかと思ったら、一団は石畳の街路へ消えていく。
彼は一体何をしているのだろうと、ある日尋ねてみた。すると、一般市民を対象に市内の建築物を解説して回っていると言うではないか。歴史的記念物から最新の建物まで歩いて巡る建築ツアーだ。彼は建築家の卵で、専門的な話をわかり易(やす)く説明することは自らの勉強にもなると言う。参加者との交流も有意義だそうだ。建築の専門家が街を案内する――これは私にとって全く新しい発想であった。
帰国した後、手探りで「東京あるきテクト」という組織を立ち上げ、建築めぐりを企画してみた。果たして日本でも建築物を観(み)て回ろうという人が居るだろうか……。そんな当初の思いは杞憂(きゆう)にすぎず、東京・丸の内周辺から始まって、銀座へ日本橋へと範囲は次第に拡大していった。
結局、私は延べ数百人以上の方と共に各地の建築物を訪ね歩き、解説をして回った。威風堂々とした洋風建築からしっとりと趣のある和風建築まで、著名な建築家による建物から名もなき市井の商店まで。その一つひとつには文化的背景が宿っている。それを少しでも知ることで、見慣れた街並みは俄然(がぜん)、魅力的な風景へと様変わりするようで、大半の人が「街に対する見方が大きく変わった」との感想を残していく。
私自身も、日本の街にはまだまだ知られざる美しさ、魅力があることを毎回思い知らされる。建物をじっくりと鑑賞してみる、何げないことだが、そこには街の奥深さを知る大きな可能性が秘められているのではないだろうか。