建築物や街を深く知るために「三つの対話」を心がけている。一つ目は、建物そのものとの対話である。その前に立ち、様式や造形性、素材や色彩などを子細に観察していくと、やがて時代時代の芸術的趣向や建築家の意図が浮かび上がってくる。言うなればこれは過去との対話であり、またかつての建築家との対話でもある。
次に、建物に関する文献資料との対話が必要だ。その来歴や変遷を知るために書物や図面、地図などをひもといていく。薄暗く、埃(ほこり)臭い資料室に籠(こ)もっての寡黙な作業であるが、ただ一枚の建築図面が決め手となって、通説をひっくり返す事実が明らかになることもある。その得も言われぬ高揚感がいつも私を捉(とら)えて離さない。
そして三つ目に、街の人々との対話。長年暮らしているからこそ見えてくる事柄を伺い、そうしたエピソードから建物や街並みの本質へと迫っていく。そんな体験で忘れられないのが、東京・銀座の金春通りで半世紀以上洋装店を営んだ勝又康雄さんとの出会いだ。ある時建物を観(み)て歩いていると、気さくに声を掛けて下さり、以来折に触れ、路地や建物を微に入り細にわたってご案内いただいた。氏は「銀座の柳を復活させた男」として知られる。銀座のシンボルであった柳が失われていくのは忍びないと、仲間と共に一本一本枝分けしていき、再び街に甦(よみがえ)らせたのだ。
街というのは、こうした一人ひとりの創意が寄り集まって生まれるひとつの空間芸術なのだと思う。人々の想(おも)いを吸い込みながら、変貌(へんぼう)し続ける芸術。人々を介し、未来へと受け継がれていくべき芸術。表面的にはなかなか分からないその奥深い姿を追い求め、私は対話を重ねていく。
そんな街の創(つく)り手の一人、勝又さんは4年前に長逝された。街に対する氏の情熱を、微力ながらもさらに後代へと伝えていかなければ、との思いを強くする。銀座の柳がゆらゆらと風に舞う姿を見るとき、私はそっと氏との対話を愉(たの)しんでいる。