東京の初台にある母校・幡代小学校は、野田秀樹君を含めて同級生が何人も東大や有名大学に入ったが、ごく普通の公立である。でも、当時の担任は変わっていた。
晴れた日、窓から校庭が空いてるのが見えたら授業やめて野球。学校に毛布を持っていって教室に泊まる夜は、生徒が競って先生の酒の肴(さかな)を料理。マンガを買ったら読む前に先生に差し出す。自習の間に先生が読むから、先生の机の上はいつもマンガ山積み……って、これホントの話なんですよ。それで私は、勉強しないでマンガばっかり読んでは、描いていた。
描いたマンガは先生には見せなかったが、切り絵作家の母には見せて「デッサンが狂ってるよ」と言われて傷ついた。ひそかに石ノ森章太郎先生の「マンガ家入門」を愛読していると、「マンガが上手(うま)くなりたければ、たくさん映画を見なさい」と書いてある。人物アップの小さなコマばかりだと飽きられるから、パッと風景の大きなコマを入れた方がリズムが出るとか、伏線の入れ方、省略の仕方など、まるで映画の参考書だった。
映画監督とは何する人かは分からなかったが、都立三鷹高校生になった春先、「8ミリ映画を作ろうぜ、俺(おれ)カントクするから」とクラスに提案した。撮影機など手にしたことも無いので、カメラ屋からタダで借りて来た。みんなでワイワイ映画を作るのが楽しくて楽しくて、それまでの人生最高の夏休みとなり、秋の学園祭で大ヒット。
深作欣二監督の「仁義なき戦い」にも興奮して、映画なら「デッサンが狂ってる」なんて言われないから映画監督になろう!と決心した。しかし、どうやったらなれるかサッパリ分からず、なれなかった場合は小学校教師になろう、例の担任の先生が「いい大学だぞ」と仰しゃっていたのを思い出して東京学芸大へ進学。教員免状をとったら、運良く日活ロマンポルノの助監督試験に合格した。
少年の面影が残る金子君は、女優さんのキレイなカラダを見ながら大人になりました。