昨秋他界した母・静枝の本職は切り絵作家だが、若い頃は刺繍(ししゅう)のデザイナーをしつつ、余暇で人形を作るのが好きで、鉄腕アトムやレオのぬいぐるみを、子供の私に作ってくれた。
映画監督としての私に、この母の影響は、何かあるのだろうか。
飛び出す絵本「つるのおんがえし」や「ももたろう」などを出版したこともあったが、絵だけではなく、折り畳まれた本が開くと立体になるように、三角関数を使い、計算もしていた姿を思い出す。
母よりちょうど1年と3日前に他界した父・徳好は、青年時代、下宿で母の絵のモデルになり、「この女おれに惚(ほ)れてるなと感じたよ」と言ってたが、自分の方が惚れてたんじゃないの? 死ぬ時も付き合い良過ぎでしょ、お二人。
この父の影響も小さく無い。
ベトナム戦争が激しい頃、「アメリカはベトナムから手をひけ」と書かれたゼッケンを胸に着けて8年間も通勤していた。ゼッケンをミシンで縫ったのは母である。
父の本職は、労働組合の機関紙作りの指導だ。ガリ版印刷機を買ってもらった小学生の私は、「学校の給食はまずい」と書いた新聞を印刷してクラスに配った。昔はマズかったんですよ、学校給食。
東京学芸大で8ミリ映画ばかり作っていた頃、「映画監督になりたいんだ」と言うと、父は「教師じゃないのか」と困ったような顔をし、母は「作家になりたいの? 職人になりたいの?」と聞いてきた。
その時の自分の答えは忘れたが、たぶん母は、貧乏しても好きなことをやっていけるのか、と聞きたかったのではないか?……貧乏しないで好きなことやっていきたいんですけど。「職人作家」とか呼ばれれば最高で。
熱中しながらも、どこか醒(さ)めた目線があるのが、一番大きな影響かも知れない。これ、映画監督には必要な性格。熱い芝居を機械(カメラ)で撮影し、過去(フィルム)を現在(スクリーン)に編集し蘇(よみがえ)らせる仕事だから。冷静な目で。
次は「桃太郎」を大ヒットさせますよ、母上。
◇3月は精神科医の高橋龍太郎さんによる執筆です。