日本人ほど美術にお金を払う国民はいない。世界の美術展動員数ベストテンを作ったら、半分ぐらいは日本での企画展になるのではないだろうか。美術の秋ともなれば公募展が目白押しで、その参加費用だけで膨大なものになる。
そのような活動から世界に発信するような作品群が生まれたらいいのだが、明治以降100年以上過ぎた今もそんな話はなかなか聞かない。この間に払い続けた費用を考えるともったいない気がする。
洋画という言葉がある。
私たちは何げなく使っているが、実に不思議な概念である。明治の文明開化期、伝統の日本画に対して西欧から輸入された油彩などを使った表現をこう呼んだのだろうが、世界中を見渡してみても、美術をこんな風に二分している国を見たことがない。どこにいったって美術はひとつだ。
洋食という言葉がある。
ハヤシライス、オムライスなど外国の料理を日本風にアレンジした料理である。しかし、いくら素晴らしい洋食でも、西欧料理と等しく並ぶことはない。日本人の世界だけで楽しまれているうちに、洋食という名の日本食になってしまったからだ。洋画はこの洋食に似ていないだろうか。
しかし、洋画とは離れたところで、日本から発信した世界的レベルの作品がなかったわけではない。<具体>であり<もの派>であり<草間彌生(やよい)>である。それを見れば、日本人に有り余る力があることがよく分かる。
若冲(じゃくちゅう)や蕭白(しょうはく)を始めとして、江戸期の作品は、世界から圧倒的な評価を得ている。結局、洋画はあまりに物まねが過ぎ、閉鎖的過ぎたのだろう。しかし、世界中が注目する日本の直近のコンテンポラリーアートは、漫画やアニメを生み出した日本の若者の豊かさと息苦しさを表現した奈良美智や石田徹也の作品、江戸期以来の洗練された美意識で現代を透視した村上隆や山口晃のような重層的な作品を生み出した。
世界が注目するのは、その独創性に他ならない。