「高橋コレクション展」を全国6カ所の美術館で開催するにあたって展示テーマを決める時、「ネオテニー」という言葉が浮かんだ。
ネオテニー(幼形成熟)とは動物学や発生学で使われる用語だが、幼形のまま性的に成熟したものを指す。なかでも有名なのは「人は性的に成熟したサルの胎児である」という仮説だろう。平面的な顔、少ない体毛、大きな脳容積などは類人猿の胎児と共通であり、人類だけはそのままの形で性的成熟を遂げてしまうのだ。
私がその言葉に強くひかれたのは、幼形のままゆっくり成熟するものこそ、先に進めるというイメージがあるからだ。
90年代以降「カワイイ」という言葉が日本の現代美術のキーワードとされ、加藤泉やMr.(ミスター)、工藤麻紀子や加藤美佳らの子供や若者を描いた作品が、世界中の美術愛好家を虜(とりこ)にした。あれは漫画やアニメやフィギュアの延長線のもので、アートではないと今でも語る人がいる。しかし、日本の若者たちがそれを成し得たのは、20歳をすぎても30歳をすぎても、成熟することに無関心で、漫画、アニメを追い求める「カワイイ文化」「オタク文化」が背景にあったからのように思う。
私には彼らの表現が、西欧的に成熟することが美術であるとする旧来の価値観を、幼形に留(とどま)まることで拒絶する意志のようにも思えたのだった。
モンゴロイドの顔が人類のなかで最も幼形を保っていることは、偶然なのだろうか。西欧的な価値観の支配するアートシーンのなかで、遅れて出発した日本や中国の若者たちが、自分たちの顔型や日常へのこだわりを表現することで、世界に発信し始めている。それは何か特別な意味のあることのように思えるのだ。
経済や軍事という物量で世界を圧倒する西欧型の成熟が、もっとも柔らかいところから綻(ほころ)びを見せ始めている。アートシーンはその象徴であるように思う。なぜなら、成熟した世界の中で、アートこそが最も幼形を残したネオテニー的世界であるからだ。