この世に生まれて、岡本太郎という芸術家に出逢(であ)ったことは、とても有(あ)り難(がた)かったと思っている。
太郎さんとは、私が彼の母親である岡本かの子のことを小説「かの子撩乱(りょうらん)」に書いた時に初めてお逢いした。書いてもいいか、よければかの子のことを何でも教えて下さいとお願いした。
その頃、私はまだかけ出しの小説家で、世の中に全く認められていなかった。それなのに、太郎さんはその場で承諾してくれ、「何を書いてもいい。好きなように書け」と言ってくれた。それ以来、いつ逢ってもちゃんと私の小説を読んでくれていて、私が書き易(やす)いように、さまざまなかの子の印象や秘話をさりげなく語ってくれた。
そのうち、
「お前さんの方が俺(おれ)よりずっとかの子を深く識(し)っているよ」
といい、本が出版されると、
「もう忘れられていたかの子をよみがえらせてくれてありがとう。おかげでかの子の本が売れるようになった」
と笑い、フランス料理を御馳走(ごちそう)してくれた。
太郎さんは常々、「人に好かれるようなものは芸術じゃない。いやな絵だ、気持ちの悪い小説だと言われるようなものが本物だよ。芸術家は岐路に立った時、進んで危険だと思う道を選ぶべきだ」と、口ぐせのように言っていた。私は岡本太郎の芸術論に洗脳されて、本気で自分の書きたい小説を書き、散々批評家から叩(たた)かれた。しかしそのおかげで60年近く現役で書きつづけているし、太郎さんの「あらゆることをやる」という思想を受けついで、小説以外にもあらゆることに手を出し、全人間的に「宇宙即自分」という考え方をしようと、今もあがいている。
行方不明になっていた太郎さんの「明日の神話」が、太郎さん没後に発見された。今、渋谷の駅にかかげられ若い人々にうっとり仰がれている。太郎さんの霊魂は「今頃俺の偉大さに気がついたか」と苦笑しているだろう。
◇5月は比較文化学者の四方田犬彦さんによる執筆です。