手塚治虫を讃(たた)える展覧会が開かれている。もう何度目だろう。この人が亡くなったのはいつだったかと考えてみた。答えは簡単で、平成の年号の数と同じだ。この偉大なる漫画家は、大岡昇平や昭和天皇と相前後してこの世を去ったのだ。
わたしは手塚治虫の「鉄腕アトム」や「勇者ダン」などを読みながら育った。大阪の箕面に住む小学生にとって、手塚さんの感受性を育んだ阪急宝塚線沿線の文化はそのまま日常であった。わたしの母は高校で手塚夫人の学年の一年上であり、華やかな宝塚歌劇とディズニー映画は身近にあった。
もっとももうひとつ手塚さんを生涯にわたって支えたのが西洋近代の文学と音楽であったことは、重要だ。彼はゲーテの「ファウスト」を漫画にし、ベートーベンの伝記を執筆中に亡くなった。こうした好みは世代的なものである。
長い間、手塚治虫の漫画は科学とヒューマニズムを説くものだと、人々は信じてきた。手塚本人もそれを否定しようとはしなかった。今と違って漫画の社会的地位がはるかに低かったため、人にはそう信じさせておいたほうが、漫画界の地位向上のためプラスになると判断したからである。
もっとも実際に彼の作品を愛読してきた人は、手塚漫画はそんな綺麗(きれい)ごとではないとよく知っていた。手塚さんは何よりもまず医者であり、人体の解剖を平然とこなしてきた人である。だからグロテスクなもの、汚れて腐ったものからけっして目を逸(そ)らそうとしなかった。人間が犬になる伝染病を素材に、救済とは何かという宗教的主題を追った「きりひと讃歌(さんか)」を手にとってみれば、このことがよくわかる。エイズが猛威を振るう15年も前に、この作品は執筆された。恐るべき先見の明である。
手塚さんが治療したいと望んだのは、病める社会全体であった。ヒューマニズムがもはや通用しない孤独な領域でこそ、彼の本当のメッセージは生きることだろう。