長く建築の歴史と批評に携わってきたせいで、建築の設計に取り組むときは、ことを本質的に考えるようにしている。浜松市秋野不矩(ふく)美術館の設計を依頼されたときもそうだった。絵を見るにはどういう状態で見るのがいいのか。
答えは、しばしば言われてきたように裸で絵と対面すること。ふつうこの裸は、既成概念や社会通念を捨てるの意味だが、建築家として思うに、靴と服を脱ぎ、素足で床に触れながら素っ裸で絵を見たらどんなにさわやかだろう。どれほど素直に絵が心の中に入ってきてくれることか。
とはいえ、現実の状態を思い浮かべると、来館者の視線が、絵ではなく絵を見ている人の方にズレてしまうおそれが大きいから、提案するのはあきらめたが、せめて靴は脱ぐようにしよう。靴を脱げば、座ってもいいし、ゴロリと横になってもかまわない。欧米の美術館では、一般来館者の邪魔にならないよう子どもたちを絵の前に座らせ、先生や学芸員が解説している光景をしばしば見かける。
靴を脱ぐなら、靴跡のつくおそれはないから、白大理石を床に敷き詰め、漆喰(しっくい)を壁と天井に塗り回し、純白の空間の中で絵と対面できる。かくして、11年前、美術館は実現し、好評のうちに今に至るのだが、私としてはもう一歩進めたい。靴だけではなく、服も脱ぐ美術館は本当にできないのか。
服を脱ぐのが必然的な施設と一体化した美術館なら可能性があるのではないか。そうだ、風呂がある。温泉や銭湯と一体にすればいい。まず入浴し、心身ともにさっぱりしたあと、純白の空間の中で絵とさわやかに対面する。
美術館の数も、温泉と銭湯の数も、日本は世界に類をみない多さなのだから、二つがいつ一体化しても不思議はないだろう。