これまで茶室を10件作ってきた。現代の建築家としては多い方だろう。というのは、前川國男、丹下健三といった戦後をリードしたモダニズム建築家たちは、なぜか茶室に近づかなかったからだ。タブー意識があったにちがいない。この自己規制が解けるのは丹下の弟子世代からで、磯崎新も安藤忠雄も積極的に手がけている。
私の場合、積極的というより施主からの依頼に応じて始まった。京都の徳正寺に頼まれて矩庵(くあん)を、細川護熙さんの依頼で一夜亭を手がけ、その引き渡しの時、予期せぬ気持ちが湧(わ)いて驚いた。渡したくない≠ニ思ったのだ。茶室という建築は身体性が強く、かかわっているうちに身離れしにくくなるらしい。
自分でも一つ持たないと以後茶室は作れない、と思い、信州の田舎の畑に、高さ6メートルの2本の栗の木を立て、その上に高過(たかすぎ)庵を作った。自分の気持ちのためだけに取り組んだから、発表するつもりもなかったが、出来てみるとけっこう面白いので発表すると、思わぬ反応が返ってくる。建築家にとどまらず建築と関係ないような女性や子どもが興味を持ってくれたのだ。
私は茶道にはかかわっていないし、茶を喫(の)むことにさほど関心があるわけではない。建築という表現は、ピラミッドこのかた巨大化を求めて進化してきたが、この業(ごう)から自由だったのは、世界の建築史上、茶室だけなのである。そこに惹(ひ)かれ、茶室に名を借りて、建築の極小を求めている、といえばいえる。
そしてここ1、2年、どうしたわけか海外からの依頼がある。台湾の場合は茶室としての依頼だが、たとえば、メルボルンのRMIT美術館からは「心安らぐシェルター」を、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館からは「隠れ家」を作ってほしい、と。
世界の建築界は、このところ派手な巨大建築に湧いているが、建築界の外には別の動きもあって、小さな建築、仮設的な建築、ふいに湧いたような建築、を求める気持ちも深まっているようなのである。